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JACSES ブリーフィング・ペーパー・シリーズ
持続可能な開発と国際援助 No.8(1998年3月)

ODAと公共事業

発行:「環境・持続社会」研究センター

 「動き出すと止まらない」といわれてきた日本の公共事業。しかし政府は環境影響評価(環境アセスメント)の法制化や、時代に合わなくなった事業を五年ごとに見直す「再評価システム」の導入を決めるなど、環境破壊と予算ムダ使いの元凶である公共事業の改革に向け、最近やっと積極的な動きを見せ始めた。
 同じく改革の必要性が叫ばれている政府開発援助 (ODA: Official Development Assistance) 。昨年の6月にODA予算の前年度比10%削減が閣議決定されると(注1)、外務省をはじめとする管轄各省庁や利害関係をもつ経団連などの団体でも、「改革」の方向性についてそれぞれの思惑から活発な議論が行われるようになった。
 公共事業とODA。その実施対象こそ違うが、両者は共にその結果として自然環境や生活環境に重大な影響を与えるだけでなく、計画立案から完成後の評価に至るプロセスや意思決定のメカニズムにおいても、多くの共通点をもっている。後者で問われているのは、政府の意思決定が正当な手続きを以って行われているかという民主主義に最も根本的な問題、特に政策決定の透明性および政府のアカウンタビリティの問題である。
 本ペーパーでは公共事業とODAの事業フローに共通する問題点を整理するとともに、いくつかの援助プロジェクトの個別事例を振り返ることによって、ODA独自の問題も浮き彫りにしたい。こうした考察を踏まえ、本当の「ODA改革」実現のためには今なにが必要なのか、NGOの視点から最後に簡単な提言を行う。

公共事業の流れと問題点
 一度決まると変更がきかない日本の公共事業の一例として、長崎・諌早湾の干拓事業は環境問題にさほど興味のない人々の記憶にも新しいところだろう。勿論、これは氷山の一角に過ぎない。長良川河口堰や二風谷ダムに代表されるように、建設の是非が長期間に渡り政府と住民・市民の間で争点となっている事業は他にも数多くある。たとえ問題が明らかであっても、なぜこうした公共事業は動き出すと止まらないのか。政策決定プロセスはどうなってい 建設省が管轄する現行の事業フローは以下のようになっている(下図参照)。(注2)

  1. 建設省地方建設局が基本計画原案を作成する。
  2. 基本計画原案を建設省本省開発課が審査する。
  3. 審査がOKとなれば、地方建設局は関係行政機関と協議する。
  4. 関係行政機関と下協議(同意を得ること)後、基本計画原案を建設大臣決済とする。
  5. 建設大臣は関係行政機関の長と協議する。
  6. 建設大臣は関係都道府県知事に意見聴取する。(このとき議会の決議が必要)
  7. 基本計画を公示、関係機関に通知する。
  8. 建設省が環境影響評価準備書を作成する。
  9. 説明会を開催し、関係地域住民の意見を把握する。
  10. 環境影響について適正な配慮をし、事業を実施する。(注3)

 公共事業の流れは、全国に散らばる建設省地方建設局が(自治体への補助事業では自治体の開発局等の関係部局が)事前調査に基づいて基本計画原案を作成するところから始まる。計画浮上の発端として様々な政治的・経済的要因が介在していることは言うまでもないが、ここで問題にしたいのは、動きだしてから着工まで続く行政主導による事業の進め方である。
 1から7までの基本計画策定では、建設省内の地方局と本省・建設大臣と関係行政機関・建設大臣と地方公共団体などの間で「審査」や「協議」は行われていても、事業計画の実質的な意思決定はすべて行政内部で行われている。調査は地方建設局が主体となり、国内コンサルタント会社に部分的な測量・設計・施工管理等を委託するか、環境への大きな悪影響が予想される事業については専門家を中心に調査団を結成することもある。しかし、いずれにしても行政の思惑が色濃く反映する場合がほどんどである。唯一、地元住民の民意が間接的にでも表明されるのは都道府県議会の決議を通じてであろうが、これも建設大臣が知事に意見聴取をする時に形式的に必要とされるだけで、基本計画の内容に反映されるという保証はない。
 次に来るのが、事業が環境に与える影響を事前に調査・評価しようという環境アセスメント(環境影響評価)であるが、1984年に閣議決定された「環境影響評価実施要項」に基づく現行のアセスメントには問題が多い。まず、その実施が各省庁の行政指導に任される「要項」でしかないこと。さらに大きな欠陥は、調査・評価手続きが事業計画の決定後に始まるため、アセスメントを行ったという既成事実が逆に事業を合理化するために利用されてしまうことである(注4)。9)にある地域住民の意見聴取も形式的なものに過ぎない。こうした欠陥に対処するには、計画策定前の段階で調査を義務化し、それが適切に意思決定に反映されるような環境アセスメント法の制定が是非とも必要になる。

環境アセスメント法
 日本で公共事業の環境影響評価を法制度化しようとする試みは経済界や関係官庁の反対で何度となく頓挫してきたが、アメリカに遅れること実に30年、ようやく昨年の6月に「環境アセスメント法」が国会を通過し、1999年の春以降から施行されることになった。この新制度では、事業者(上の例では建設省)は、アセスメント開始前つまり7)以前の段階で、自治体や住民に評価項目や調査方法の案を示し意見を聞いた上で、調査に着手することになる。また、主務大臣が求めなければ環境庁長官が意見を言えない現行アセスメントに比べ、環境庁が必要に応じて評価書に意見を言うことが可能になったり、場合によってはアセスメントのやり直しも要請することができるなど評価できる点も多い。(注5)
 しかしながら、以前からNGOや専門家が指摘していた問題のうち、今回の法制化によっても解決していない点がいくつかある。まず、環境アセスメントを有効に機能させる上で重要な代替案の検討プロセスに、関係住民が参加することが難しいということ。環境庁による代替案の提示に関しても、「環境影響の緩和」という観点に限られており、「事業を縮小する」あるいは「事業を行わない」という案の検討は義務化されていない。より根本的な問題は、事業そのものの「中止」だけでなく「計画見直し」の判断が今後も主務官庁にまかされているということだ。これでは結局、官僚が作成した計画を官僚自身が評価することになってしまい、国会等の第三者機関による監視が十分に機能していない現状では、環境アセスメントの実質的な効果に大きな疑問が残る。また、環境アセスメント法は1999年以降で計画段階にある事業にのみ適用され、すでに実施中の事業や実施が決定された事業はその対象とならないという難点もある。

時のアセスメント
 最後の点との関連で注目されているのが時のアセスメントという考え方だ。これは北海道が国に先駆けて導入を決定した施策で、その趣旨は、住民の反対などで進んでいない事業について、「時」という「ものさし」で中止も視野に入れて再検討を行うというものである。(注6) 近年、日本国内で財政改革の緊急性が高まっていたことなどが味方して、政府は昨年の12月、全国版の「時のアセスメント」を公共事業の再評価システムとして採用することを決めた。再評価の対象となるのは、1)原則5年(ダムなどの長期的な事業に関しては10年)以上停滞している、2)時の経過とともに社会的状況や住民の要望が変化し、事業の価値や効果が低下している、3)反対運動などで今後も進まないおそれがある、という要件のいずれかに当たる事業である。
 全国的規模での再評価システムの導入は、「止まらない」公共事業に歯止めをかける上で大きな効果をもつものと期待される一方、その実効性に関していくつか限界も指摘されている。環境アセスメント法と同様、最大の難点は、中止を含めた事業の可否の判断をするのは依然として主務官庁であるということだ。この点に関し、NGO402団体からなる「公共事業チェックを求めるNGOの会」は、計画段階から事業そのものを事業当事者でなく第三者機関が評価・検討できるシステムをつくるよう訴えている (注7)。 同時に重要なのは、どのような場合に中止になるか等、事業の評価基準を明確化することである。今後は、評価基準の法制化に向けて、全ての関連情報の公開と「市民の参加」をもとに、事業ごとの費用対効果の分析手法の確立など具体的なつめが必要になってくるだろう。(注8)

国会の役割
 第三者機関による評価・検討との関連で重要なのが国会の役割である。しかし現状では、国会が公共事業に関与できるのは予算審議を通じてのみであり、特定の公共事業計画に注文をつけたり当否を審議したりする権限はない。予算に関しても、国会の審議と議決にかけられる予算書(一般会計・特別会計・政府関係機関)の項目は数千億から数億円の単位になっており、きわめて大枠の議論しかできていない。つまり、日本の議会は個々の事業の監視(モニタリング)機関として全く機能していないのである。
 国会の機能不全は行政主導の事業運営と相補的な関係にある。意思決定における行政への過度の権限集中は、建設業界や関連特殊法人への「天下り」官僚と、両者の間を取り持つことによって大きな影響力をふるう「族議員」とを生みだし、官・業・政の利権構造を根底から支えてきた。「動き出すと止まらない」公共事業は、相互的なチェック機能の働かないこうしたシステムの産物であり、その帰結は、国家財政の逼迫(地方に於いては補助金返還の重荷)による他部門へのしわ寄せと日本全国で引き起こされる自然環境の破壊であった。こうした悪循環を根底から断つためには、問題意識を共にする市民・NGOと議員が公共事業改革に向けて緊密な協力関係を築いてゆく必要がある。(注9)

ODAはどのように進められているのか
 二国間ODAは大きく分けて、技術協力を含む無償資金協力(贈与)と低利で長期間貸し付ける有償資金協力(借款)とからなっている。ダムや発電所などの大規模プロジェクトが多い円借款は、その立案から完成・評価までの流れ(プロジェクト・サイクル)がそれだけ長くて複雑である。1997年度版『ODA白書』によると、円借款のプロジェクト・サイクルは以下のようになっている。

1)相手国政府の要請
2)必要に応じ、政府調査団および/または実施機関調査団の派遣
3)OECFがプロジェクト原案を審査
4)外務省が供与案を作成
5)4省庁(外務、大蔵、経企、通産)の協議(必要に応じ、関係各省の意見聴取)
6)供与事前通報
7)援助の閣議決定
8)交換公文署名後、借款契約(L/A)締結
9)入札
10)プロジェクトの着工
11)プロジェクトの完成・評価

 公共事業と比べODAに特徴的なのは、開発の対象が他国の主権下にあるため、民間のコンサルタント会社が非常に大きな活躍の場と役割を得ているということである。海外コンサルタントは、限定的な委託調査を行うことの多かった国内コンサルタントと異なり、プロジェクト自体の発掘や全体構想の立案、経済性の検討などプロジェクト・サイクルの全体に係わって、実質的に援助プロジェクトの方向性を決定づけている。(注10)

 コンサルタント会社の関与はプロジェクト・サイクルの前段階で始まる。建て前は「要請主義」であっても、実際はコンサルタント会社や総合商社が(開発コンサルタント会社の業界団体を通じて交付される)ODAの補助金を受けて援助案件を発掘(プロファイ)し、相手国政府に持ちかけることが多い。そして要請書が外交ルートを通じて外務省に送られると、同省は国際協力事業団(JICA)に事前調査団派遣の指示を行うが、この調査(フィージビリティー調査)に関しても、ほとんどの場合コンサルタント会社に委託されている。コンサルタント会社は、開発調査を円借款に繋げるのに有利な情報だけを提供する傾向が強く、社会的・環境的な悪影響はしばしば見過ごされてしまう。

 次に、政府の援助機関・海外経済協力基金(OECF)がプロジェクト原案を審査することになっているが、この「審査」はきわめて不十分なものである。その大きな理由として、環境的・社会的配慮の導入を要請するOECFの環境ガイドラインそのものに後に述べるような問題があることから、環境アセスメントに実効力が備わっていないことが挙げられる。その結果、審査は経済的側面からの判断が中心になり、プロジェクトの実施可能性については、コンサルタント会社の行う開発調査の段階でほとんど決定が下されてしまうと言ってよい。

 このような「審査」を受けて、次に外務省・大蔵省・通産省・経済企画庁が協議を行い、円借款が決定されることになっている。この4省庁間の話し合いの内容は非公開であり、個別のODAプロジェクトが国会の審議を経ることもない。そして、この四省庁間協議による決定がすぐ相手国に伝えられることからもわかるように、閣議では交換公文が形式的に了承されるだけで、援助供与の実質的な決定は完全に行政レベルで行われている。最後に、閣議審査を受けてプロジェクト実施が最終的に決定すると、相手国政府は開発コンサルタントを競争入札で選定する。 以前とくらべて日本企業による入札の割合は下がってきているが、開発調査を行ったコンサルタントは依然として有利な立場にあり、特に大型プロジェクトの日本企業による受注率は非常に高い。(注11)

 ODAのプロジェクト・サイクルを通じて特徴的なのは、行政主導の制度的枠組みをコンサルタント会社や商社などの産業界が補完しているという構図である。これは援助機関の人材・技術面での脆弱性が一因となっているが、その意味することろはさらに大きく、日本のODAの中心的な問題と深い関わりをもっている。

 第一に、援助は「要請主義」によって相手国の主体性が尊重されているかのような体裁になっているが、実際には日本の主導権のもとで、外交戦略的な「国益」や企業益を確保するものとして行われている。したがって第二に、相手国にとって本当に必要なものを広い視野に立って援助していくという側面は重視されず、環境や社会等への配慮は短期的な経済性の前で二次的なものとなる傾向がある 。インフラ関係の事業を主に手掛ける民間のコンサルタント会社に、相手国の地域特性や環境配慮等に詳しい専門家がはたしてどれ程いるのかという人材・能力の問題もある。本来、事前調査や環境アセスメントは、文化人類学やジェンダー・森林・参加などの専門家を擁するチームによって実施されなければならないはずだ。

 第三に、高い公共性をもつはずの援助行政と私的な産業の依存構造は、ODAに関する情報の透明性を高める上で大きな障害となっている。あるいは、情報公開に向けて努力しないための口実になっていると言ってもよい。事実、企業のプライバシーを守るという口実によって、プロファイ報告書は非公開であり、補助金の詳細な使途や交付先の公開も認められていない。また開発調査の内容について公開されるのは数年後であり、この段階でプロジェクトは着工あるいは完了している場合が多い。国民がプロジェクトの存在そのものについて知り得るのも、交換公文締結の段階になってからである。

 以上のように、ODAでは国家間の関係が関わること、民間企業が相対的に大きな役割を果たすこと等の文脈の違いはあるものの、ODAのプロジェクト・サイクルは本質において公共事業の実施体制と多くの特徴を共有している。その最も中心にあるのは、行政主導の実施体制と国会・議会の機能不全であり、これに関連して両者に共通の問題・課題も浮かび上がってくる。

1)業界と行政の癒着
 国内の公共事業において官僚機構は、全国を網羅する下部機関や自治体を通じ、絶大な権限と影響力を行使しており、開発コンサルタントや建設業界はそれに歩み寄るかたちで利権構造を築き上げてきた。ODAにおいても、行政主導という枠組みは変わらないまま、政府・援助機関のカバーしきれない部分をコンサルタント会社が補うという依存構造がある。日本公営や電源開発公社、東電設計など国内外を股に掛けてコンサルティング活動を行う会社が多いことや、政府・援助機関からの天下りの問題を考えると、官・業の利権構造はさらに複雑で根が深いと考えられる。こうした関係は、環境や社会への配慮といった側面をなおざりにし、近視眼的な経済的・政治的利益を優先する傾向を助長するだけでなく、国内においては政府の福祉の切り捨てや自治体における補助金返還の問題、海外においては重債務問題の元凶にもなっている。

2)継続の論理
 公共事業でよく指摘される官僚の「継続の論理」は、ODAプロジェクトにもそのまま当てはまる。これは日本の官庁組織内部のボトムアップの意思決定と深い関連があるが、ODAの場合はコンサルタント会社がその最基底部分を支えている。「決定されたときに正しかった」プロジェクトは「変更の必要性がない限り正しい」はずであるが、官僚の無謬性神話において、この理屈は「変更しないがゆえに正しい」という奇妙な「論理」へと転倒する。(注12) ここで無視されているのは、プロジェクトを取り巻く様々な状況の変化であり、調査や実施が適切に行われなかったかもしれないという可能性である。このような「論理」の慣性にブレーキをかけるには、行政機関内部でモニタリング・評価の機構を適切に機能させるだけでなく、外部の独立した機関による審査・評価体制を早急に確立しなければならない。

3)環境アセスメントの不備
 公共事業の環境アセスメントの限界については既に触れたが、ODAにではさらに問題が多い。具体的には、1)環境アセスメントの実施を保証する法制化がされていない、2)OECFの環境ガイドラインはチェックリストに留まっていて、評価結果がどのように考慮され、どのような基準で評価されるのかが明らかではない、3)アセスメントに関する情報が公開されていないため、国会や市民による監視が不可能になっている、などの難点がある。これらの点に関しては後に詳しく説明する。

4)不十分な情報公開と参加
 持続可能な開発を行う上で、行政内部においてアセスメントやモニタリング等の実施体制を整えることは必要条件に過ぎない。十分条件を満たすためには外部の監視が不可欠であり、その前提となるのが、日本国民や現地住民への情報公開をもとにした意思決定プロセスへの参加である。先進諸外国にあるような情報公開法がいまだに制定されていないことからも明らかなように、日本には市民が情報を得る上でさまざまな制約がある。特殊法人の関わる公共事業や国家主権の問題が焦点となるようなODAについては、特にそれが顕著である。情報公開を確保する実施体制の確立こそODA・公共事業に共通する緊急課題であり、少なくとも、必要な時はいつでも公聴会を開けるようにすること、さらに、環境アセスメント報告書などの重要書類を公開するとともに、他にどんな情報が入手可能なのか市民・住民に知らしめるような体制を作ることが急務である。

5)独立の審査機関の欠如
 こうした情報の非公開性は、国会による公共事業やODAプロジェクトの監視を非常に難しくしている。(注13) というより、国会がその意思決定過程に組み込まれていない制度自体がそもそも問題なのである。環境的・社会的に持続可能な公共事業やODAを実現するためには、国会内に国内外の事業の実施状況を審議する委員会を設置するなどして、行政主導の運営体制を絶えずチェックしていく必要がある。勿論、独立の第三者機関というのは国会だけではない。国内の環境アセスメント法に見るように、立法によって環境庁の監視機能と権限を強化することも同じく重要である。

日本が関与した問題ODAプロジェクト
 では、公共事業とODAに共通する問題点は、具体的なODAプロジェクトにどのような形で現われているのか。

 日本の円借款によって、アジア各国を中心に現在まで数多くのODAプロジェクトが実施されてきた。莫大な資金を要するインフラ整備などの大規模プロジェクトは、計画から完成まで長い年月を要し、その環境的・社会的影響も半永久的である。したがって、それだけ慎重な取組が求められる訳だが、実際には前段で指摘したような制度的問題に起因するかたちで、さまざまな問題が見過ごされ、しばしば取り替えしのつかない事態を引き起こしている。

 以下に紹介する3つの事例は、いずれも円借款を受けた水力発電プロジェクトである。ダム建設をともなう水力発電所の建設はその規模と影響の大きさからしても、国内外を問わず、開発事業が抱える本質的な問題の多くが現われていると同時に、海外への開発援助に特徴的な視点も提供している。これらの例は個別のプロジェクトとしても「過去」のものでは勿論なく、追加援助が計画されるなど、現時点でも適切な対応が迫られているものばかりである。

1. ナム・グム・ダム(ラオス)(注14)
 首都ビエンチャンから北100キロのところにあるラオス最大の水力発電ダム、ナム・グム・ダムは日本のODAプロジェクトとして資金支援を受けた。このダムは、1967年から71年の第1期工事で30メガワット(MW)の本体を建設、75年から78年の第2期工事で80MWのタービンが増設され、82年から85年の第3期工事で現在の150MWの発電が可能になった。日本政府は旧西側諸国や世界銀行との協調融資で、第1期に17億8000万円の無償資金、第2期に51億9000万円の円借款を供与した。日本の資金協力は総工費の約20%余りだが、日本工営が構想から設計を、建設もほとんど日本の企業が請け負っている。

 ナム・グム・ダム建設による環境・社会への影響は莫大であった。約370平方キロメートルという広大な地域が水没、23の村と豊かな森林が消滅し、移転を強いられたのは約600世帯・4000人以上に上ると推測されている。プロジェクト承認前に情報提供はなく、住民は自分の村が水没するのを知らされると同時に移転の準備を始めなければならなかった。ラオス政府による補償はごくわずかで、多くの者が避難民となり流浪の生活を送ることになった。移転先でも人々は家畜と水田を失うなど、住民移転が引金となって無理な焼き畑が進行し、周辺に環境破壊が招かれていると報告されている。(注15) こうした情報のほとんどは、プロジェクト着工から7年、完成から3年後に行われたラオス政府委託の調査で明らかになったものだ。

 ナム・グム・ダムは経済的にも大きな問題を抱えていることが、その後になって明らかになった。近年、貯水池の水不足により見込まれた発電量に達しない年が多く、タイへの電力輸出も激減しているのである。松本悟氏によると、これは雨不足などの自然環境の変化というよりも、当初の実施計画段階で集水域や分水嶺の管理がまったく考慮されていなかったことに起因するという。(注16) つまり日本工営が実施しOECFが審査したはずの事前調査は、環境・社会面での悪影響だけでなく、経済性の面でも十分な分析ができていなかったということになる。

 さらに問題なのは、こうした誤算によって援助が停止されるのではなく、むしろ新たな開発プロジェクトの発掘に拍車がかかったということである。すでに、ナム・グム・ダムの水不足・電力不足に対処するために、ナム・ソン・ダム、ナム・グム集水域管理、ナム・ソン集水域管理、ナム・ルック・ダムなどのプロジェクトが必要とされ、新たに数百億円もの資金が先進国や多国間開発機関から投入されている。

 日本政府も1996年、ナム・ルック・ダムに対し、アジア開発銀行(ADB)と協調融資を行うことを決定した。この39億円の供与は、ナム・グム・ダムの第2期工事への供与以来、ラオス政府に対する20年ぶりの円借款となった。しかし政府は、環境NGOなどから多くの問題が指摘されているこのプロジェクトに対して、今なぜ円借款の再開なのか、十分な情報も根拠も示していない。環境・社会影響のアセスメントや経済性についてもADBの調査を無批判に受け入れるのではなく、独自に十分な根拠を示せなければ国民に対するアカウンタビリティを果たすことはできないだろう。さらに、一連の追加援助は、債務というかたちでラオス国民に長期的な負担を強いていくことになるのである。

2. サマナラウェア・ダム(スリランカ)(注17)
 コンサルタントによる事前調査の不徹底とOECF・政府によるお座なりの審査がプロジェクトの失敗に結び付いただけでなく、新たに追加援助を生み出している同様の例として、スリランカのサマナラウェア・ダムを挙げることができる。

 このダムの構想は1970年代に遡り、当初は旧ソ連の援助で建設される予定であったため、フィージビリティー調査は同国の調査団によって行われた。しかし1977年にスリランカで政変が起こると同国との外交関係が悪化し、プロジェクトの実施は日本とイギリスに委託されることになった。旧ソ連の調査ではダムの右岸に漏水の可能性が指摘されていたが、プロジェクト監理を委託された日本工営はボーリングなどの詳細調査を実施しなかった。こうした不十分な事前調査にもかかわらず、日本政府は四省庁間の協議を経て1986年と87年度に計284億2000万円という巨額の円借款供与を決定し、工事を入札した熊谷組・間組・鹿島建設はジョイント・ベンチャーとして建設着工した。

 計画ではダムは最大120MWの発電能力を備えるはずであったが、1991年に工事が完了すると旧ソ連の調査団が指摘した通り、右岸の部分の漏水が発見された。日本政府は十分に事情説明もしないまま遮水工事の施工を即断し、1991年度には32億6400万円もの円借款が追加供与されることになった。結局この補修工事によって漏水は止まるどころか、漏水箇所が一挙に広がり、ダムの決壊を恐れて下流の住民が緊急避難することになった。新潟大学・鷲見氏の「単に右岸の石灰岩層に問題があるばかりでなく、ダム底には幾つもの断層が走っていることから、そもそもこの場所は、ダム・サイトとしては不適である」という指摘が正しいとすれば、政府がまた新たに決定した52億円という追加融資はまったくの無駄ということになる。いずれにしても、モニタリング体制の確立、情報公開の徹底、独立審査機関の設置など先に指摘した点で改善が見られていたならば、プロジェクトの継続はスムーズに行かなかった可能性が高いだろう。

 サマナラウェア・ダムはナム・グム・ダム以上にずさんな調査がコンサルタント会社によって行われ、OECF及び政府はその欠陥をチェックできなかった典型例である。根本には、本来の実施機関であるはずの政府/OECFが人的にも技術的にも民間のコンサルタント会社に依存している、という構造的な問題があることはすでに指摘した。さらに、国民への十分な事情説明もなされないままに、欠陥が明らかになったプロジェクトに対し、密室で追加融資が決定されてしまう行政主導の意思決定のあり方が、ここでは問われている。

3.コタパンジャン・ダム (インドネシア) (注18)
 コタパンジャン・ダムはスマトラ島の中央部・リアウ州に現在建設中の多目的ダムである。洪水制御・灌漑にも利用されるこの大規模ダムは、計画によると、発電能力は11万4000キロワット、水没面積は124平方キロメートルで隣の西スマトラ州にも及ぶ。

 プロジェクトの流れは次のようになっている。プロファイと予備調査は東京電力の子会社・東電設計が行い、1981年にインドネシア政府が日本に援助の事前調査を要請。JICAの委託によって、同じく東電設計が1982年から2年をかけてフィージビリティー調査を実施し、報告がまとめられた。さらに1985年には、実施計画書の作成のため11億5200万円がインドネシア政府に貸し付けられ、同社が1990年に詳細設計を完成させた。これを受けて日本政府は即座に融資を決定し、125億円を第1期分として、1991年度には175億2500万円を第2期分として拠出することになった。建設契約は1993年に日本のハザマが受注した。

 このダムはナム・グム・ダムに劣らず環境的・社会的な影響が大きく、すでに広範囲の森林や土地・河川が消滅し、10カ村の住民は移転を余儀なくされた。現在、移転対象の1万数千人のほとんどが再定住地に移り住んではいるが、荒れ野に粗末な住居のみが与えられるというケースもあったという。

 そもそも移住にいたるプロセスはどうだったのか。実は、住民移転に関して、日本政府はインドネシア政府に「条件」を提示していた。それは、1)移転にあたり、全世帯の同意をとる、2)適切な移転先を用意する、3)補償額は住民と協議して決定する、4)環境面に配慮する(特に水没地帯に生息する希少動物のスマトラ象約30頭を移転保護すること)という4点であった。それまで、ODA供与に条件を付けることは「内政干渉にあたる」として避けられてきたことを考えれば、政府のこうした「条件付け」は1992年に打ち出されたODA大綱「4原則」の具体的措置として評価できる。しかしながら、条件の「遵守」に関しては「内政問題であって口出しできない」(注19)のならば、実効力に関しては最初から大きな疑問があった。

 実際、上の条件のうち厳密に守られたのは、スマトラ象に関するところだけだったようである。まず移住の「同意」に関しては、住民に正確な情報が与えられなかっただけでなく、政府による明らかな威嚇があったことが報告されている。また移住によって自給自足的な生活が失われた上に、電気が引かれていない、食料支給がない等、補償に関して様々な苦情が上がっているという。金額に関しても、政府提示額に上乗せを要求する住民は多く、要求額と政府の提示額の間には大きな隔たりがある。OECF環境ガイドラインの「水没によって移転を余儀なくされる住民の生活状況等について検討され、所要の措置が講じられる必要がある」(注20)という言葉が空々しく聞こえる。

 こうした状況を「民主主義が保証されていないインドネシアの国内問題である」といって片付けることはできない。プロジェクトを取材した諏訪勝氏によれば、「そもそも外務省のいう『ODAは国家対国家の政策』の枠組みには、こうしたプロジェクトでもっとも影響を被る現地住民の要請を、すくい上げるシステムが組み込まれていない」からである。(注21)この事例が示すように、「国家対国家」の枠組みを切り崩し、現地住民の要請をすくい上げるODAのシステムを確立するための第一歩は、事前に環境および社会的影響評価を徹底し、情報公開や住民参加など「条件」が満たされているかどうかを適切にモニター・評価するメカニズムを確立することである。

ODAにおける環境・社会配慮に向けて
 上に挙げた3つの事例には、プロジェクト・サイクルのところで指摘した問題の多くが具体的に現れていた。不十分な情報公開や住民参加、「継続の論理」に基づく不透明な意思決定など、公共事業の問題と重なる部分も非常に大きい。ただODAでは、「要請主義」や「内政不干渉」という建前と、対象領域の広さからくる政府・援助機関の実施能力の限界とによって、プロジェクト実施課程において透明性とアカウンタビリティを実現し、結果においては環境的・社会的な持続可能性を確保することが、公共事業以上に難しいこともまた事実である。

多くのODAプロジェクトにおいて、コンサルタント会社による調査内容は政府・援助機関によって無批判に受け入れられてしまい、「審査」や「協議」は環境的・社会的悪影響の側面だけでなく、経済性の側面でも十分に機能していない。プロジェクト着工後・完了後の評価基準とその対応指針が明確でない、などという以前に、「評価」や「対応」自体がまともに行われているかどうかについても大いに疑問が残る。これでは、プロジェクト完了後も、場当たり的にそれを補完する別のプロジェクトが続くことになってしまう。「動き出したら止まらない」は、個々のプロジェクトにおける一連のプロジェクトに関しても当てはまっている。

 こうした傾向を正すためには、先に指摘した、公共事業との5つの共通問題点に対処することが必要であるが、ここでは特にA)プロジェクト承認前の環境アセスメント、B)着工後・完了後の評価・モニタリング、C)プロジェクト・サイクル全段階を監視する独立審査システム、の三点に絞って、ODA先進国等の例も見ながら説明する。(注22)

  A)環境アセスメント

援助機関は、環境アセスメントによって、プロジェクトに関わる環境・社会・経済的な費用・便益を分析することができる。さらに、評価報告を広く情報公開した上で、直接・間接に影響を受ける住民やNGO等との幅広い協議を行うことによって、最終的に最良の判断 - つまり、プロジェクトを実施するかどうか、するのであれば計画案にどのような変更を加えらるのか、の判断 - を下すことが可能になる。この意味で環境アセスメントは、持続可能な環境と社会を実現するための最も基本となるべき手続きである。これをODAプロジェクトで効果的に実施するには、特に次の点に留意する必要がある。

1)経済分析と環境・社会的コスト分析
 ダムや発電所などの大規模インフラ整備事業については特に、計画・設計段階から長期的な視野に立って経済的な費用・便益を適切に評価しなければならない。そのためには、ナム・グム・ダムやコタパンジャン・ダムの例でも示されたように、密接に関連する環境および社会的なコストを適切に経済分析の中に組み込むことが重要である。多国間開発銀行や他の援助国では、環境アセスメントの一環として両側面への配慮を義務付けているところが多く、例えばカナダでは、プロジェクトの立案段階で社会的な事前分析 (social impact analysis) を実施している。

2)情報公開と住民・NGOとの協議
 環境アセスメントに関する情報公開は住民・NGOとの協議の前提であり、日本を除くほとんどの援助機関では一般に公開されている。OECD/DACのGood Practices for Environmental Impact Assessment (EIA) of Development Projectsは、途上国の住民の参加は環境アセスメントの基本的条件であると述べており、世界銀行のガイドラインでも、EIA報告書の原稿ができた段階で影響を受ける人々と協議することを義務づけている。協議は形式的に行われるのではなく、住民やNGOの声がアセスメントの報告書に適切に反映されるものでなければならない。アメリカやカナダでは、国内の環境アセスメでント法に基づき、援助機関がEA実施の過程で一般市民との協議を行うメカニズムの確保を義務づけている。さらにカナダでは、市民から環境アセスメントに対して懸念が提示されて解決の必要が認められた場合、環境大臣によって任命される「審査パネル」の調停に懸けられることになっている。

3)法による実施と遵守の確保
 ガイドラインはあっても、実際に遵守されなければ意味がない。そこで、環境アセスメントの適用が法的な(あるいはそれに準ずる)拘束力をもっているかどうかは重要なポイントになる。日本と違い、アメリカ・カナダ・オランダでは、国内の環境アセスメント法が二国間・多国間ODAにも適用されている。環境アセスメントの効果を保証する上で同じく重要なのは、遵守状況を監視する体制の確立である。カナダのCIDAには、法の遵守を確保するため、「環境アセスメントと遵守課」という部署が設けられ、状況を環境アセスメント庁に報告する義務が課されている。また1991年以来、オーストラリア国際開発庁(AusAID)でも、完全に独立したモニタリングが実施され、専門家で構成される独立監査チームは監査報告書を提出することになった。

4)代替案の検討
 環境影響評価の一環として、プロジェクトの計画段階で、環境・社会的に最も影響が少ない代替案について分析・検討がなされるべきである。この場合の「代替案」には、影響の緩和策だけでなく計画の根本的な変更も含まれる。例えば、エネルギー供給拡大を目的としたダム建設プロジェクトによって多大な環境・社会的影響が予測されるような場合、エネルギー効率の向上や省エネ・プログラムの支援など現在の消費レベルを抑える方策、さらには「プロジェクトの中止」も代替案として提示されるべきである。ちなみに、世界銀行やアメリカのUSAID、カナダのCIDAのガイドラインには、どのような代替案を検討するのかが具体的に示されている。中止を含めた代替案の検討が義務づけられていれば、プロジェクトの承認時あるいは問題が認められた時点での変更がずっと容易になる。

B)評価・モニタリング
 事前の環境アセスメントがいかに慎重に行われたとしても、事業が複雑になればなるほど予期できない犠牲や失敗がもたらされる可能性が高くなることも事実であり、政策や計画と実際の実施状況との間に大きな乖離が生まれることも珍しくない。こうした傾向に対処するためには、プロジェクトの着工後・完了後の評価を徹底し、失敗の原因と責任の所在を明らかにすることが必要である。これにより、実施機関はプロジェクトを継続するかどうか、あるいは完了後にどうすべきかについて適切な判断と対処ができるようになる。
 OECFは近年、プロジェクトごとの監理・評価メカニズムを強化してきてはいるが、(注23) 技術的な実施可能性や効率性・財務手続き等の側面が中心になることが多く、環境・社会・文化的側面からのモニタリング・評価に関しては依然不十分である。また評価は概して、何を実施したのかについての報告、あるいは「重大な悪影響は認められなかった」といった主観的な印象の羅列に止まり、実際の結果が予想された効果と比べてどうなのかといった実証的・客観的な分析はなされていない。その一因として、評価基準となる指標が計画の段階で設定されていないことが挙げられる。また、評価は本来、独立性の高い調査団に委託して徹底的に行われるべきものであるが、日本では現地の大使館職員や政府寄りの専門家が中心となって事後調査が施される場合が多く、類似の問題プロジェクトへの援助が繰り返される一因になっている。
 現在、環境の持続可能性に関する評価手法や指標は世界的にも確立されているとは言えないが、デンマークやオランダ、イギリスやカナダ、アメリカ等のODA供与国は持続可能な環境の観点から評価手法・基準の確立に向けて努力している。また、イギリスのUKODAやアメリカのUSAID等の援助機関では、プロジェクトが政府の包括的な政策目標や優先課題と合致しているかどうか効果的に評価するため、情報管理システムの改善を目指している。

C)独立審査機関
 国内の環境アセスメント法について先に指摘したように、評価の公正さを確保する上で、「独立」であることは非常に重要な要素である。これはプロジェクトの事後評価だけでなく、実施の全段階を通じた「審査」についても言えることだ。日本には今のところ、会計監査などODAの運営状況を監査する制度はあっても、環境や社会的影響の側面からプロジェクト・サイクルを監視する独立審査システムはない。
 この点で参考になるのが世界銀行の例である。世銀総裁は1992年、独立の専門家で構成される調査チーム(モース委員会)を指名し、国際的NGOの批判が高まっていたインドのサルダル・サロバル・プロジェクトに関して徹底的な調査を行わせた。委員会の報告書は、環境や住民移転の状況に関するガイドラインがまるで遵守されていないと結論づけ、世界銀行がこのプロジェクトから撤退するよう勧告した。その結果、世界銀行とインド政府は1993年にプロジェクトへの資金供与停止に追い込まれることになった。
 こうした経験を踏まえ、世界銀行は1994年、住民やNGOの苦情申し立てを受ける審査パネルを他の多国間援助機関に先駆けて設立し、独立審査メカニズムを制度化している。アジア開発銀行でも1995年に同様の独立査察機関の設置を承認した。カナダでも1994年以来、監査長官室に独立審査の権限を与え、1)ODA政策・原則・優先項目の遵守、2)プログラム運営および実施手段の有効性、3)資金利用の妥当性とアカウンタビリティ、4)プロジェクト事後評価の将来の政策・活動への活用、などの観点から、援助実施機関カナダ国際開発庁(CIDA)の活動を審査することを義務づけている。
 このような独立機関による審査体制が確立していなくても、法律によってODAの実施状況を監視することは可能である。しかし日本にはODAに関する国内法がないだけでなく、公共事業の例と同じように、国会の関与も現状では大枠の予算審議に限られている。この点、アメリカの議会のメンバーはODA実施の監督権限と責任を負っており、ODAに関する多くの公聴会が連邦議会を通じて、USAIDの活動を監視している。日本でも、国会に監視機能を持たせるとともに、ODA実施機関とは独立した環境庁などの機関に審査の権限を与えることが必要である。

ODA改革のための提言
 ODAのプロジェクト・サイクルと国内公共事業の計画・実施のフローに見られる問題は、その最も根本にある「行政主導の意思決定」と「国会の機能不全」において大きく重なり合う。その帰結は「動き出すと止まらない」公共事業とODAプロジェクトであり、自然環境と生活環境の破壊である。この流れをくい止めるには、プロジェクトの全段階にわたって透明性とアカウンタビリティを高め、行政と業界の依存関係を断つとともに、市民や国会が監視する制度的な枠組みを早急に確立する必要がある。具体的には、1)情報公開と住民参加の促進、2)環境アセスメントの徹底、3)独立審査機関の監視によって、官・業・政の癒着関係を断ち、行政による「継続の論理」を打破することである。勿論、行政の内部にもモニタリング機能を組み込んで、自己浄化を促していかなければならない。
 同時に、こうした問題への対処の度合は、公共事業とODAの間で微妙に異なっている。環境アセスメントの法制化や「時のアセスメント」の導入などの面では、現在のODA改革は公共事業改革に大きな遅れをとっていると言うこともできるだろう。勿論、ODAを通じた開発援助は国際関係が介在する分、公共事業よりも複雑で困難な問題をはらんでいることも確かである。情報公開や住民参加・補償など、どれもその実施を徹底しようとするならば、内政干渉などの外交関係上の問題が浮上してくるからだ。
 こうした点も踏まえた上で、最後に、今、ODA改革に何が求められているのか、NGOの立場から提言をまとめる。ここには当然、公共事業「並み」に改革するべき点、両者に共通する問題と改善点、さらにODAにだけ当てはまる視点が含まれている。

1. 情報公開と住民参加

2. 環境アセスメント
3. 評価・モニタリング
4. 独立審査機関の設置
5. ODA基本法の制定
注釈
1) 1998年度の予算政府案は、前年度の1兆1687億円から10.4%減の1兆473億 円。
2) 建設省が進める公共事業は全体の約7割にも上り、残り2割が農水省、1割 が運輸省というシェアになっている。
政府が直接行う直轄事業のほか  に、自治体などに補助金を与えて行う補助事業、そして自治体が単独で 行う単独事業がある。
3) 「多目的ダムの建設 昭和62年版 計画行政編 監修/建設省河川局 編集/ 財団法人ダム技術センター」より。
4) 五十嵐敬喜、小川明雄『公共事業をどうするか』(1997年、岩波新書) P145-148。
5) その他、意見提出の地域限定が撤廃され、専門家の意見が反映されやす くなった。また、知事の意見聴取も現行の一回から三回に増える。
6) すでに昨年の8月、明確な期間を区切っていないものの、政府・建設省は 全国18ヵ所のダム事業の中止・休止を決めている。
7) そのほか、計画の検討・見直しの主体の問題、情報公開、市民・NGOの 参加、等の点で改善が求められている。
8) アメリカやフランスでは、道路などの大型事業に関し、一定の手法で費 用対効果分析をすることが法律で義務づけられている。日本政府は現在 のところ「数字が一人歩きすると混乱する」との理由で費用対効果の結 果を公開していない。朝日新聞ニュース速報。1997年12月5 日。
9) 否決はされたが、1997年の国会には民主党議員が中心となり、意思決定 の透明化、国会の審議・承認、環境・社会・文化的な影響評価等の方策 を盛り込んだ「公共事業コントロール法」案が議員立法で提出された。
10) ODAのプロジェクト・サイクルとその問題点については、村井吉敬・ ODA調査研究会編著『無責任援助ODA大国ニッポン』(JICC出版局、  1989年)が詳しい。
11) 1997年版「ODA白書」によると、10億円以上の円借款のうち、「日本  企業はその約8割に応札して、そのうち6割を落札しているのが近年の実 情である」という。また金利水準2.5%以下の借款についてはタイド化が 許されている。『我が国の政府開発援助 - ODA白書』上巻、117P。
12) 五十嵐・小川、前掲書P90。
13) もちろん国会議員が特定のODAプロジェクトの環境破壊や人権侵害な どについて批判することもあるが、国会内に環境アセスメントの実施や プロジェクトの全般的な評価について監視し続ける体制はできていな  い。他のODA供与国と日本の比較については、JACSES『ODAにおける 環境配慮と持続可能な開発』(1996年)を参照。
14) このケースに関する主な情報は、松本悟著『メコン河開発 - 21世紀の 開発援助』(1997年、築地書館)による
15) しかし、プロジェクトを一貫して主導した日本工営は、明らかな事実 誤認に基づいて、「環境アセスメントは実施されなかったものの、環境 的配慮はなかった訳ではなく、補償も完了している」と報告している。 同上、P35-36。
16) 同上、P50-51。
17) このプロジェクトに関する主な情報は、鷲見一夫著「ODA・手抜きが 招いた水漏れ欠陥ダム」(『エコノミスト』1993年1月5日号)、「繰り 返される『でたらめ援助』」(『週刊金曜日』1996年9月13日号)によ る。
18) このプロジェクトに関する主な情報は、諏訪勝著『破壊 - ニッポン   ODA40年のツメ跡』(1996年、青木書店)による。
19) 同上、P104。
20) 海外経済協力基金『環境配慮のためのOECFガイドライン』第二版   (1995年)P28。
21) 諏訪、P107。
22) 詳しくは『ODAにおける環境配慮と持続可能な開発』第4章を参照。
23) OECFでは近年、必要と認められた場合は、プロジェクト要請の段階で 案件形成促進調査 (SAPROF)、実施の段階で案件実施支援調査 (SAPI)、  完了後の段階で援助効果促進調査(SAPS)を実施している。

参考文献
五十嵐敬喜/小川明雄 『公共事業をどうするか』岩波新書 1997年。
海外経済協力基金 『環境配慮のためのOECFガイドライン』第二版 1995年。
外務省経済協力局 『我が国の政府開発援助 - ODA白書』1997年。
「環境・持続社会」研究センター 『ODAにおける環境配慮と持続可能な開発』1996年。
鷲見一夫 『ODA 援助の現実』岩波新書 1989年。
鷲見一夫 「ODA・手抜きが招いた水漏れ欠陥ダム(サマナラウェア・ダム)」『エコノミスト』1993年1月5日号。
鷲見一夫 「繰り返される『でたらめ援助』」『週刊金曜日』1996年9月13日号。
諏訪 勝 『破壊 - ニッポンODA 40年のツメ跡』青木書店 1996年。
日本工営株式会社 『日本工営50年史』1996年。
松本 悟 『21世紀の開発援助 メコン河開発』築地書館 1997年。
村井吉敬/ODA調査研究会 『無責任援助ODA大国ニッポン』JICC出版 1989年。
Friends of the Earth Japan. 1996. NGO Guide to Japan's ODA. Yen Aid Watch Special Issue.  

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