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JACSES ブリーフィング・ペーパー・シリーズ
持続可能な開発と国際援助 No.10(1998年12月発行)

メコン河流域の「開発と環境」論


1. 序論

 第三世界における大規模開発プロジェクトは、かつてのように、社会環境影響を全く考慮していないとか、影響を受ける住民の声を全く無視しているとか、単純に批判できるようなものは少なくなっているようだ。ちなみに、第二世界の中心であるソビエトや東欧が崩壊したにも関らず、あえて第三世界という語を使うのは、こうした国々の環境問題には植民地時代から冷戦期に培われた政治・経済・社会的な歪みが今も深く関係しており(Bryantら 1997)、それらをソ連崩壊と同時に忘れ去り「発展途上国」という非政治的な経済一辺倒の呼び方で総称することにためらいを感じるからである。

 話を戻そう。しかし、例えば東南アジアのメコン河流域開発を検証してみると、開発と環境をめぐる問題は、実際にはより複雑に、しかも深刻になってきており、問題が解決に向っているとはとても言えそうにない。「持続可能な開発」に代表される開発と環境の調和や、それを実現するのに必要とされる住民参加が開発理論の主流となる中で、第三世界の現場レベルで生じている「開発と環境」の問題は、どのような変質を起こしているのだろうか。それが、NGOに代表される非政府機関の役割にどのような影響を与えているのだろうか。このペーパーでは、メコン河流域のダム開発を事例にすえて、この点について考察したい。

2. メコン河流域ダム開発とは

 メコン河はチベットに源を発し、中国雲南省、ビルマ、ラオス、タイ、カンボジアと流れ、ベトナムのデルタから南シナ海に注ぐ、世界第8位の流量を誇る大河である。流域に5500万人、雲南省と流域国全体では2億3千万人の人口をかかえる。1950年代から、主にアジアにおける共産主義の拡大を食い止めようという政治的意図を背景に、アメリカや日本を中心に、流域開発の青写真が描かれた。しかし、西側諸国からのばらまき援助にも関らず、1975年にはインドシナ三国で相次いで共産主義政権が樹立され開発計画は水泡に帰した。それが90年代初頭のカンボジア和平とソビエト崩壊を契機に、再び机の引き出しから取り出された。

 流域の開発計画は極めて多岐にわたっているが、その中でも、住民移転や水没を伴い、「開発と環境」の問題に最も深く関係するのがダムである。メコン河流域に大規模なダムを建設する理由は国ごとに違う。タイにとっては、灌漑や都市部の水不足の解消、ラオスにとっては隣国タイやベトナムへの電力輸出による外貨の獲得、ベトナムは産業化によって急速に増え続ける国内の電力需要に応えるため、またカンボジアは、灌漑と国内電力供給それに隣国への電力輸出の全てを目的に掲げている。これら4カ国のメコン河本支流域だけに限ってみても、100近いダムが検討されている。

 メコン河ダム開発の環境への影響を考える際、住民の生活への影響も合わせて考える必要がある。なぜなら、この地域では、農村部の生活は林産物や川魚などの自然資源に支えられており、環境破壊は即ちそこに住む人たちの生活破壊につながるからである。したがって、本論で環境という語を使う際には、自然環境だけでなく住民の生活環境も含めていると理解して頂きたい。

3. 民営化される環境

 「開発と環境」の変質を考えるにあたって、まず開発の変質に目を向けよう。メコン河流域ダム開発の1つの大きな特徴は、開発資金の中心が、二国間や多国間の援助から、民間資本に移っているという点である。したがって、ここでは、民間のみによるダム開発と、政府間協力が入ったダム開発とに分けて考えてみたい。

 民間資本が援助に取って代わり始めた背景は、アジアにおける資本の流れが民間中心になってきているという点、また欧米先進工業国の「援助疲れ」などが挙げられる。財政構造改革や急激な円安のため、日本の政府開発援助(ODA)もその例外ではなく、量から質への転換が図られる中で、民間活力の導入が本格的に進められている。具体例として、JICAが1993年に実施したセコン川流域水力発電開発のマスタープランに端を発した、ラオス南部のセカマン第1水力発電ダムについて、民間中心のダム開発がどのような社会環境問題を引き起こしているか検証する。

【事例1】セカマン第1ダム(注1)
 セカマン第1ダムは、カンボジアとベトナム両国に国境を接するラオス南部のアタプー県に建設が予定されている。ダムが造られるセカマン川は、メコン河最大の支流の1つセコン川に流れ込む。堤体の高さは187メートル(この種のダムでは世界第2位)、水没面積230平方キロ(琵琶湖の3分の1ほど)で、46万8千キロワットの発電を予定している。電力の大部分はタイなどへの輸出用である。当初の計画では先住民族を中心に1000人ほどが強制移住を迫られるということだったが、正確な影響はいまだ不明のままだ。

 このダムの開発は、1994年4月にラオス政府と、オーストラリアのタスマニア州企業である水力発電委員会会社(ヘクエック)との間で決まった。しかし96年になって、ヘクエックの民営化が決まり、新しく生まれ変わったヘクエック・オーストラリア社(HPL)は、セカマン第1ダムの開発事業から手を引くことを決めた。代わって民営化される前のヘクエック経営陣の1人が設立したオーストラル・ラオパワー社(ALP)が、このダムの開発権を買収した。ALPは、買収の際に、マレーシアの伐採会社アイドリス・ハイドローリック社と共同出資で、新会社を設立している。その後、更にタイにベースを置く3社が加わり、3カ国の民間企業5社とラオス政府が開発事業者となった。

   企業体は1997年にラオス政府と2度目の開発合意の調印を行ったが、その時点でまだ環境影響調査すら実施されていなかったにも関らず、水没地の伐採が認められたのである。ダム開発に関わったことのない伐採企業アイドリス・ハイドローリック社は、こうして東南アジア大陸部では最後と言われる平地部の豊かな熱帯林230平方キロを掌中にしたのである。更に、水没予定地ではすでに200人ほどが移転をした。調査や伐採などによって、住民の移転が半ば強制的に行われることによって、結果として、「ダム水没地の住民はわずかで社会影響はほとんどない」という調査結果が導かれるのではないかと懸念する声が国際機関から出ている。このダムによる社会環境調査は未完のままだ。タイへの電力輸出もめどが立っていないし、建設資金の融資先も決まっていない。にもかかわらず、外国企業による熱帯林の伐採だけが急ピッチで進められ、住民がやむを得ず移転を始めているのである。

 このような、ダムの資金めどが立たないうちから大規模な伐採が始まったり、環境調査が伐採で荒廃した後に行われたり、あるいは住民移転が、ダム建設が不確定なうちから始まったり、というケースは、セカマン第1ダムに限らず、韓国とタイの企業が出資しているラオス南部のホアイホーダムや、オーストラリア、フランス、タイの企業が出資しているラオス中部のナムトゥン第2ダムなど、民間主導のダム開発にはかなり見られる(松本 1998)。

 ダム開発計画によって流域の人々の生活に欠かせない自然資源が、海外の民間企業に売り渡され、市場経済の原理に基づいて、ダムの開発権は自然資源を生活の糧とする住民の未来と共に右から左へと売買される。民間主導のダム開発は、メコン流域の住民生活に欠かせない自然そのものの民営化、商品化をもたらしている。ここには持続可能な開発などという美しいことばの実践は片鱗も見当たらない。

4. 何のための調査・公聴会か

 「すっかり民間に委ねるより、やはり政府系機関が加わった方が、社会環境への影響が軽減される」という意見を、日本の援助関係者やアジア開発銀行(ADB)など多国間金融機関のスタッフからしばしば耳にする。セカマン第1ダムのケースなどを見ていると、その気持ちもわからないではない。しかし、これには落とし穴がある。日本政府やADBが関与することで、確かに環境影響など所定の調査は義務づけられ、ある程度の情報は公開され、関係者が参加しての議論の場(公聴会)も、民間中心の開発に比べて増えることは間違いない。しかし、それによって必ずしも「社会環境への影響が軽減される」とは限らない。政府機関が関わったダム計画では、調査も情報公開も公聴会もそれなりに実施されるが、結果としては何も変わらないのではないか、と疑問に感じることがしばしばある。次に、民間活力を導入しつつも、政府援助が関係しているダムを例に検証してみたい。

【事例2】ナムトゥン・ヒンブンダム(注2)
 ナムトゥン・ヒンブンダムは、ラオス中部を流れるメコン河第4の支流ナムトゥン川に、98年4月に完成した。広大な貯水池を持たない流れ込み式(run-of-the-river)ダムである。発電能力21万キロワット、総事業費2億6千万ドル。ダムの建設企業体への出資比率は、ラオス政府が60%、タイのGMSパワー社が20%、スウェーデンとノルウェーの国営電力会社が設立したノルディックハイドロパワー社が20%で、この企業体がダムを建設(Build)、所有(Own)し、30年間操業(Operate)したあとラオス政府に移管する(Transfer)というBOOT方式で開発された。総事業費のうち、アジア開発銀行(ADB)が6000万ドルをラオス政府に融資した他、ノルディック開発基金の融資、ノルウェーや国連開発計画の無償協力、それにスカンジナビアの公的な輸出信用など、あわせて1億5000万ドル余り、全体の58%を公的な資金がカバーし、残りの42%を出資企業の負担や民間銀行からの借入れで補っている。セカマン第1ダムと違い、民間活力を導入しつつ、かなり政府関係機関の支援・協力が入っている。

 このダムの建設にあたっては、いずれもノルウェー政府の資金援助で、事前の環境影響評価が2度実施された。最初の環境アセスの調査報告書は1993年に出されたが、例えば流域の漁業への影響については、「ダムの上流では水量が増えて魚が増加し、住民は利益を得る」と述べている。また、「ダムの下流の村は影響を受けない」、「住民はみなプロジェクトを支持している」などとまとめた上で、ダム建設に青信号を灯した。ところが、この調査報告はノルウェー国内で問題になり、再度調査が行われた。その結果、「ダムの上流では漁獲高が半分に減るだろう」「25村の6千人が影響を受ける」「人々はプロジェクトについてほとんど知らされていない」などと全く正反対と言ってもいいような結論が導き出された。にもかかわらず、ADBはダムの被害を低く分析した最初の調査報告を正式のものと認めて、建設にゴーサインを出したのである。先進国政府の関与で、環境影響評価が事前に行われたにもかかわらず、言わば見切り発車の形でダムの建設が始まってしまったのである。

  同じような問題が、ダムの完成後にも生じている。発電が始まる前の月、98年3月に、ラオスで7年間NGO活動をしてきたアメリカ人が現地を視察し、ダム建設後の悪影響の実態調査を報告した(Shoemaker April 1998)。それによれば、ダムに関係する複数の川の流域では魚の収穫が30〜90%も減ったり、乾季に川の水量が減った河川敷を利用した野菜畑がダムによる増水で水没した、泉が泥水に埋まるなどして乾季の生活用水が失われた、あるいはこうした影響によってやむをえず移転をしなければならない村が現れている、など深刻な影響が出ていることが明らかになった。こうした状況に憂慮し、この現地視察のレポートは補償を含めた対策を資金供与者であるADBなどに求めている。

 ところがである。このレポートを受けてADBとラオス政府が緊急に現地調査を行い、いわば報告書をまとめた。それによると、ADBは「漁獲量の減少はあるが、それほどひどくはなく、原因もダムによるものかどうか不確かである」、「住民移転は以前から村人たちが計画していたもので、ダムが原因ではない」、「緊急に対策を講じなければならない問題は認められなかった」と結論づけている。更に、このアメリカ人の元NGOスタッフがインタビューしたのと同じ村人に尋ねた結果として、「彼は、そのアメリカ人に何と答えたのか正確に覚えていない」と記している。報告書の内容は、ADBの現地調査が、実態をきちんと把握しようというよりもむしろ、NGOから指摘された問題点についてひとつひとつ反駁することを目的として行われたという印象を与えるものであった。

 ダムの悪影響を指摘する声を受けてすぐに調査をする、この姿勢は確かにADBという政府系機関が関わっているからこそ、実施されたことであろうし、民間企業のみの開発プロジェクトでは、このようにはいかないに違いない。しかし、ここで問題なのは、実施された調査の中身がどれだけ信頼性のあるものなのか、である。事前の2度にわたる環境影響評価のうち、もし2回目の方が正しかったら....。あるいは事後の調査でも、もしアメリカ人の元NGOスタッフが実施した調査の方が正しかったとしたら......。この点について、ADBのこれまでの対応は、政府系機関が入ることによって、社会環境影響調査が実施されるようになることは間違いない。しかし、それが直ちに、実際の影響も小さくなると言い切ることはできそうにない。

 こうした問題は、むしろ政府系機関が入った場合にしばしば見られる。同じナムトゥン川に建設が予定されているナムトゥン第2ダムでは、3度にわたる全国的な公聴会が開かれた。これは、とりもなおさず世界銀行という多国間金融機関がプロジェクトへの支援を検討している結果である。しかし、この公聴会によって、プロジェクトのあり方に、いかほどの変更が加えられたのかは疑問である。また、現在日本政府が事前の環境調査を行っているラオスのナムニエップ第1ダムでも、同様に3回の公聴会を予定しているが、そこで述べられた意見が、プロジェクトにどれだけ影響を与えられるのかは、明確ではない。公聴会の実施だけをとって、それによって社会環境影響が軽減されると考えるわけにはいかないのである。

5. 開発が環境を守る?

 メコン河流域のダム開発を「開発と環境」の視点で論じる際、開発の変質と共に見過ごしてはならないのは、環境破壊の原因についての「認識」の変化である。これまでは、開発プロジェクトこそが、環境破壊を引き起こすと批判を受けてきた。「開発と環境」がならべて論じられるのも、原因と結果の関係にあるからであろう。開発によって生じる環境破壊を計画段階でいかに少なくし、不可避な社会環境への悪影響をどうやって修復・補償するか、という点が議論の骨格だった。しかし、メコン河流域ダム開発に関する限り、「開発と環境」の関係は、必ずしもそうではない。メコン河ダム開発を推進する側が主張するのは、貧困こそが環境破壊の主原因であり、貧困撲滅を目的とした開発プロジェクトは、環境破壊を防ぐ最も重要な政策だという、全く逆転した認識である。これはメコン流域のラオス、ベトナム、カンボジアの政府機関では、主流を占めている考え方と言っても過言ではない。具体的には、移動式の焼畑農業や山岳民による狩猟は貧困ゆえに続いているもので、それによって森林破壊や貴重な野生生物の減少につながっているという主張である。ダムを建設すれば、焼畑や狩猟に頼る山岳民を強制的に平地に定住させることができ、更にダムがもたらす外貨収入で、ダム周辺の貴重な自然を保全することができる、言わばダムが環境を守る、というわけだ。「開発と環境」の関係をこのように逆転することで、これまで環境破壊の悪玉だった大規模ダム開発が、一転して環境を守る持続可能な開発の旗頭的事業に変貌を遂げているのだ。環境破壊の原因を、開発から貧困に設定し直すだけで、持続可能な開発が実現できるかのようである。この立場に立っているのは政府の開発関係者ばかりではない。欧米の環境保護グループも一角を占めている。

【事例3】ナムトゥン第2ダム
 さらにラオスで進行中の別のダム建設計画の例をみてみよう。建設されればラオスで最大となるナムトゥン第2ダム(NT2)である。この事業はラオス中部のカンムアン県とボーリカムサイ県の境に建設が予定されており、予定出力は681MW、貴重な動植物が生息していることで知られるナカイ高原の450平方キロ(琵琶湖の3分の2)を水没させる。影響を受ける住民は全部で3350世帯、世帯当たり5人としても1万6千人にのぼる。ナムトゥン・ヒンブンダムと同様に、BOOT方式で建設が計画されている。事業に出資しているのは、オーストラリア、フランス、タイの5つの企業とラオス政府で、総事業費は今のところ15億ドルと見込まれている。現在、世界銀行が支援を検討中で、日本政府もプロジェクトの事前準備のために約100万ドルを、世界銀行を通じて資金提供した。セカマン第1ダムと同様に、発電された電力をタイに輸出する計画だが、いまだに売電契約は結ばれておらず、開発資金も不足しているにも関らず、水没予定地の森林はすでに伐採が半分以上終わっている。現地の村人はこれまで林産資源に依存してきたため、森がなくなった以上はダムからの補償が頼りという状態だ。(囲み1参照)

 このダムを海外から最も強くサポートしてきたのは、世界銀行ではなく、ニューヨークに本部がある自然保護NGOの野生生物保護協会(WCS)ではないだろうか。WCSでアジアを担当している幹部職員は、ナムトゥン第2ダムに批判的な別のNGOに対して、次のように書いた書簡を送っている。

「アジアを担当する責任者として、もし世界銀行がプロジェクトに関わり、環境保護と影響緩和策の計画が実施されるのであれば、私はナムトゥン第2ダムに完全な支持を送る。世界中の様々な地域で20年にわたって野生生物保護や自然保護区域の管理に携わってきたが、私が見る限り、現在提案されているナムトゥン第2ダムは、このナカイ・ナムトゥン自然保護区域の森林と野生生物の急激な減少を食い止める唯一の方法である」  WCSのアジア代表は、豊かな自然が残るナカイ高原の環境破壊の原因は、村人の生活そのものであり、その環境を回復をするための金がラオス政府にない以上、村人を自然から切り離し、ダムの収益で人がいなくなった自然を復興させるしかないと述べている。WCSの主張は、その後、ラオス政府に大きな影響を与え、今ではダム開発支持者のいわば「伝家の宝刀」となった。そして、村人は、ダム予定地から移転すれば、貧困から脱却でき、ダムの利益は優先的に環境保全に当てられる、という主張がなされているのだ。

 この発電所建設によってラオス政府が収益を得てその資金をラオス国民の貧困解消に向けるという、プロジェクト推進派が描くシナリオが本当に実現されうるのだろうか。97年の経済危機以降、電力の輸出先(売電先)であるタイの電力需要が大幅に落ち込んでいる現状では、このプロジェクトの収益性はまったく不透明である。にもかかわらず、既に森林伐採が進行しているのである。

6. 住民の本当の声とは?

 「開発と環境」の問題で忘れてはならないのは住民参加をはじめとするプロセスの視点である。これまで第三世界における開発への批判は、現地の住民の反対運動をバックに先進国のNGOが自国政府や多国間金融機関に働きかけるというパターンが多かった。しかし、メコン河ダム開発に関する限り、その方法には限界があるようだ。

【事例4】コーン・チー・ムーン分流計画 (注3)
 タイのコーン・チー・ムーン分流計画は、メコン河の水をタイ国内に導水して、東北タイのムーン川とチー川につなげ、大規模な灌漑を行おうというもので、工期42年、当初推定事業費400億ドルという歴史的大事業である(堀 1996)。建設は3つのステージからなり、90年に始まった第1ステージでは20のダムをムーン川とチー川に建設し、第2ステージでこれらダムによる灌漑事業、そして第3ステージではメコン河から水を導水してムーン川・チー川と結ぶことになっている。

 このプロジェクトはメコン河の水量に大きな影響を及ぼすため、下流域への悪影響を恐れるベトナムから強い批判を受けている。これまで日本など国際機関の資金は供与されておらず、タイ政府によるプロジェクトという位置づけだ。第1ステージの14のダムがすでに完成しているが、このうちの1つ、ブリラム県のラーシーサライダムでは補償をめぐって、住民同士が対立している。ダムによって影響を受ける住民のうち、タイの一大住民運動と位置づけられるForum of the Poorの傘下にあった1150世帯余りは、政府との交渉で総額3億6千万バーツ(約12億円)の補償を確約された。しかし、同様にダムによる被害を主張するForum of the Poorのメンバー以外の住民数百世帯はこれに反発。影響を受けない住民も補償要求しているとして、Forum of the Poorを批判し、補償支払いを無効にするように訴えた。こうした住民同士の利害対立はタイでプロジェクトを行う場合、決して特別なことではない。タイの「開発と環境」の問題は、時として非常に政治的である。住民の個人的な利害だけでなく、こうした対立の影に、地元の有力者や政党の姿が見え隠れすることもある。

 タイと全く政治経済状況の違い、共産党の一党支配が続いているラオスの場合は、別の意味で住民の声を特定するのが難しい。【事例2】に挙げたナムトゥン・ヒンブンダムのケースでも、アメリカ人の元NGOスタッフがインタビューした際には、問題を赤裸々に話した村人も、いざ政府の役人が調査に来れば、途端にトーンが落ちたり、場合によっては政府側から圧力がかかることも少なからずある(松本 1997)。住民が反対運動をしているからと言って、それが全てだと思うのは危険であるし、一方で住民が強い反対運動を起こしていないから、深刻な問題がないと言い切ることもできない。

7. 「開発と環境」の変質が何をもたらすのか

 ここまで述べてきた「開発と環境」の変質が実際にどのような課題を、少なくともメコン河流域の開発にもたらしているのだろうか。また、それがNGOの役割にどのような影響を与えているのだろうか。

 第1に、援助が民間企業活動の尻拭いになりかねない状況になってきている。セカマン第1ダムに見られるような民間主導のダム開発によって強制的に移転させられた人たちや不利益を被った人たちを救うための開発プロジェクトが、援助によって行われる可能性は強い。例えばラオスの南部では、ホアイホーダムで影響を受けた人たちの生活改善を、別の農村開発の援助プロジェクトでカバーしようとしている。あるいは、ここでは例に出さなかったが、ビエンチャン近郊に完成した小規模なダムによって漁業被害などを受けたある村は、これまで外国の援助なしにやってきたのに、今ではすっかり援助漬けの村となありつつある。また、事例として挙げたナムトゥン・ヒンブンダムでは、元NGOスタッフが指摘した漁業への被害について、ラオス政府は、ダムとは直接関係ないとしながらも、ダムの影響地域の漁業振興を含めた農村開発計画の策定を急いでおり、当然のことのようにその資金源として外国の無償資金協力を期待している。

 これまで、一部の援助が直接環境や人々の生活に悪影響をもたらすとして非難を浴びてきた。しかし、民間主導の開発の時代では、企業は社会環境影響など顧みずに、もうかる部分のみに集中していれば、それによって壊された環境や不利益を被った人たちは援助が救ってくれるという構図になりかねない。見方によっては、昨今のアジア経済危機の中で、民間企業も仕事を確保でき、政府もダムの影響を受けた貧者の救済や環境の保全に援助を使うことができ、住民もとりあえず援助によって生活が保障されるという、win-win(みんなが勝者)の関係が成り立つ。しかし、これが本当に第三世界の人たちの自立を助ける援助本来の目的に合致しているのだろうか。これが本当に「開発と環境」のバランスを考えた持続可能な開発の実践と言えるのだろうか。実はNGOと言えども、この流れに否応なく乗らされていることがある。尻拭い的な援助にNGOが便乗させられるケースを、私自身ラオスで見てきた。草の根の援助が、場合によっては村人の大規模開発への不満を和らげることにつながることは否定しがたい。

 第2に、環境影響評価や公聴会のあり方をどう考えるかである。これらの実現は、ある意味で、「開発と環境」の問題を解決するために、NGOが長年訴えてきたことだ。今や、こうした制度的枠組みは、最も遅れていた日本政府ですら整えられつつある。しかし、それが問題を解決するために本当に実効性のあるものなのかどうか、実はNGO自身が戸惑っているのではないだろうか。イギリスの環境雑誌「The Ecologist」の準編集長を5年余り勤めたラリーローマン氏は、これを「開発ドラマにNGOが組み込まれていくプロセス」と呼び、このレールに乗っている限り、上辺だけの変化のために、政府もNGOも大切な時間と資金を費やし続け、”開発ドラマ”の配役を演じなければならないと警鐘を鳴らしている(Lohman 1998)。ローマン氏の主張は、メコン河開発に関わるNGOや研究者の間で賛否両論あるようだが、少なからぬ人たちが、このレールに乗り続けることに疑問を持っていることも確かである。

 第3に、環境破壊の原因を貧困にすることで、貧困撲滅と環境保全という共通課題を目指して、場合によってはNGOもダム開発に関わるようになってきた点である。地域の社会状況によっては、貧困が環境破壊につながっていることを否定はしないが、ここでは2つの重要な点が抜け落ちている。1つはダム水没地であらかじめ行われている商業伐採、もう1つは村人の生活スタイルの視点である。特に焼畑の場合は、原生林を焼畑民が燃やしているような錯覚を与えているが、実際に、山岳地の人々が焼畑をする場所は、伐採などによって比較的荒廃してきている林地が多い。商業伐採による影響を全く無視して、山岳民の焼畑のみを大きくクローズアップするのはミスリードにつながりかねない。2点目の生活スタイルについて言えば、山岳地での生活よりは、ダムによって移転し低地で暮らした方が豊かだという考え方があるが、必ずしもそうとは言えない。肥沃な低地が十分にあるわけではないので、移転先はやせた土地が多くなり、近代農法が求められる。タイの英字新聞The Nationの中堅記者カモン氏は、タイと比較をしながらこう書いている。
 「村人たちは、生活スタイルを、雨や川や木に頼るものから、灌漑や電力に頼るものへ変えることを強いられている。しかし、重要な疑問は、人々は新しいライススタイルを受入れる準備ができているのかということだ」「村人たちは、これまで使ったことのない農業のシステムと技術を身につけて、生き残ることを期待されている。間違いなく、村人たちはそれを学ぶ力を持っているが、一体どのくらいの時間と、どのくらいの資金が必要になるのか。そうやって獲得した収入が、農薬や肥料や機械など再投資にかかる費用をまかなうのに十分なのだろうか」「もし、タイで起きていることを見れば、そのような近代的な農業システムが、農民たちを莫大な借金に埋もれさせ、非持続的であることが証明されている」。(注4)

 第4に、ダム開発による社会環境への問題を解決するため、現地の反対運動や批判の声だけに依存して、NGOが自国政府や国際機関に働きかけるという方法は、メコン河流域ダム開発に関する限り、必ずしも適当とは言えない。ナムトゥン・ヒンブンダムのケースでは、アメリカ人の元NGOスタッフが行った現地調査の結果を、即座にアジア開発銀行(ADB)にぶつけたが、結果的に、例えば双方からインタビューされた村人が「何を聞かれたか覚えていない」と答えたことからもわかるように、最も守られるべき影響地域の村人が、政府とNGOの板挟みの中で苦渋の対応を迫られることとなった。

8. 今後に向けて

 メコン河流域ダム開発を事例に「開発と環境」論の変質と、それに伴うNGOの役割の変化について分析してきた。中には、この地域特有の問題もあるだろうが、普遍的な課題も内包していると考える。以下に、第三世界の中でも、往々にして開発プロジェクトによる悪影響のみを受けやすい弱い立場にいる人々の生活を、ダムのような大規模開発が脅かさないようにするために、今後に向けた提言をまとめた。これは、必ずしも二国間や多国間の政府援助機関に対するものではない。同様に第三世界の「開発と環境」の問題に、否応なく組み込まれてきているNGOにとっても、必要ではないかと考えた点である。私自身がNGOというセクターで活動してきたこともあり、これは他人事として大上段に提言しているのではなく、自省と自分の今後の活動へのエールを込めての切実な提案と受け止めてもらえれば幸いである。

  1. 援助とは何のためなのか、しっかりとした議論をする必要がある。民間資金が今後も第三世界のインフラ整備に活用され、援助がその尻拭いをする可能性がある中で、規模の大小に関らず、援助が何を目指すものなのか、議論する時ではないだろうか。
  2. 環境影響評価や公聴会といったシステムを、もう一度目的に照らし合わせて再検討する必要がある。こうしたものは一度制度化されると、目的を忘れて、手続きだけが一人歩きすることはよくあることだ。目的に立ち返った検討が、常に必要とされる。また、こうした制度は、いわゆる参加型開発を可能にすると言われているが、ダムのような大規模な開発が、本当に参加型で行えるのか、という本質的な議論も避けるべきではない。
  3. その土地の文化や生活スタイルを十分考えるべきである。ダムに関わる機関やグループは、賛成派も反対派も、しばしばその道の専門家が多い。しかし、開発による影響が大きいだけに、その地域や国を丸ごと理解する努力を欠かしてはならない。
  4. 現地の住民や政府と共に解決する姿勢が必要である。これまで、先進国の政府援助機関は、開発プロジェクトによる住民への影響は内政問題であり、現地政府が対応するものと考えてきた。また、NGOは、住民からの反対の声を求めるあまり、問題を現地政府と共に解決する姿勢に欠けてきた。メコン河流域国では、現地政府と住民の双方との対話によって、問題を解決に導くことが重要である。

脚注
注1.  この事例は、以下の文献を参考にした。
AID/WATCH(1998)Australian dam pushers doing business in Laos, ADI/WATCH Briefing Paper Coleman, M.(1996)"Tasmanian dam-builders in Lao PDR: A profile of HECEC", Watershed, Vo.2 No.1
"Xekaman 1 hydroelectric dam: very private", Watershed, Vol.3 No.2, Nov 97-Feb 98 Halcrow and Partners(1998)Se Kong-Se San and Nam Theun River Basins Hydropower Study: Initial Environmental Examination, Asian Development Bank
注2. この事例は以下の文献を参考にした。 Shoemaker, B.(1998)Trouble on the Theun-Hinboun: A Field Report on the socio-Economic and Environmental Effects of the Nam Theun-Hinboun Hydropower Project in Laos Asian Development Bank(1998)Report on Site Visit 6-9 May 1998
注3. この事例は、タイの英字新聞The Nationの97年4月12日と10月7日を参考にした。
注4. Sukin K. "Question of Sustainability hangs over dam", 97年7月8日。

参考文献
堀博『メコン河: 開発と環境』古今書院、1996年。
松本悟「アジア経済危機とメコン開発」『季刊Mekong Watch創刊号』1998年。
松本悟『メコン河開発:21世紀の開発援助』築地書館、1997年。
Bryant et al., Third World Political Ecology, Routledge, 1997
Larry Lohman, "Mekong dams in the drama of development", Watershed, Vol.3 No.3, 1998
Bruce Shoemaker, "Trouble on the Theun-Hinboun - A Field Report on the Socio-Economic and Environmental Effects of the Nam Theun-Hinboun Hydropower Project in Laos", April 1998

執筆者:松本悟(まつもと さとる)
1994年より96年まで、日本国際ボランティアセンター(JVC)ラオス現地代表として活動。1998年当時、シドニー大学地理学部研究員。メコン河開発を事例に開発とメディアについて研究。現在、
メコン・ウォッチ

囲み1:ナムトゥン第2水力発電計画(NT2)の概要

  1. 計画概要:ナム・トゥン川にかかる高さ50メートルのロックフィルダムで、約681MWの発電を期待するもの。年間予定発電量は4864ギガワット時で、その電力のすべてをタイに輸出する計画。このダムによって、447平方キロに及ぶ、ラオス最大のナカイ高原の生物多様性保護地域が水没する予定。影響を受ける住民は3350世帯、うち約950世帯(約5000人)の住民移転が必要となる。
  2. 事業費用:事業の総費用は1989年当時には約8億ドルと見積もられていたが、94年には12億ドル、そして現在は15億ドルまで跳ね上がっている(これはラオスの1994年の国民総生産とほぼ同額、(うち12億ドルが建設費用、3億ドルが借入金の利子)。  
  3. BOOTと開発業者:NT2はBuild(建設)-Own(所有)-Operate(操業)-Transfer(移譲)方式(BOOT方式)によって建設される。オーストラリアのトランスフィールド社が中心となって、フランス電力公社やイタリアン-タイ開発社などのタイ企業数社とラオス政府によって《ナム・トゥン電力連合(NTEC)》という企業体が結成された。このNTECが、プロジェクトの計画、建設、操業・維持を担うとともに、出資ならびに建設資金の確保を行う。
  4. 資金:NT2の建設費用は総額15億ドルだが、これはラオスの1994年の国民総生産とほぼ同額にあたる。プロジェクトの総費用のうち30%はNTECの資本金、残りの70%がローンで賄われる予定である。後者については、タイの金融機関やイギリス、ドイツ、フランスなどヨーロッパの商業銀行などからの融資が期待されている。しかし、これら商業銀行はプロジェクトへの投資にあたっては、世界銀行(世銀)が保証を提供することが条件であるとしている。このため、NTECを構成する企業にとって、この事業の推進は、世銀の保証支援を確保することにかかっている。

*NT2プロジェクトとBOOT、ならびに世銀の民間保証支援に関しては、JACSES ブリーフィング・ペーパー(1999年3月発行)を併せてご参照ください。

囲み2: 政治化する参加

ジェラルド・チェオン(シドニー大学地理学部メコンリソースセンター研究員)

 ラオスに計画されているナムトゥン第2水力発電プロジェクトの「住民移転行動計画(RAP)」は、「パブリックコンサルテーション・参加」を、世界銀行の政策によれば「避けられないもの」だと受入れている。更に、開発事業体による「パブリックコンサルテーション及び参加プログラム(PCPP)」は、「意思決定プロセスを強化し」「プロジェクトの質に全体的な価値を付加する」だろうと述べている。(1) パブリックコンサルテーションの重要性に関するこうした意思表明は、現地の新聞、政府の政策ペーパー、法律あるいはプロジェクトに関する文書など、ラオスにおける数多くの文献に見つけることができる。

 なぜ、それほどまでにパブリックコンサルテーションに関心があるのか。ラオスでは理論的及び実践的にどのようなタイプのパブリックコンサルテーションが存在しているのか。参加プロセスの演出者は誰で、それぞれの役割は何なのか。言い方をかえると、参加という文脈の中で、権力が如何に行使されているのか。参加のプロセスは誰が支配しているのか。水資源管理/開発のセクターで、これらの疑問に対する答えを見つけようというのが、この研究の目的である。

 地球的な意味で、開発における参加というテーマは、過去10〜15年間、重要になってきている。(2) 世界銀行や国際通貨基金のような多国間機関、援助機関、メコン河委員会のような地域機関、NGOそして政府は、いずれも「人々が中心の開発」―言い換えれば参加ということに違いないが―を支持している。例えば、国連開発計画は、ラオス政府の科学技術環境機構(STENO)によるパブリックインボルブメントのガイドライン作りに資金協力している。(3) こうしたガイドラインは国の環境法令と結びつくであろうから、ラオスにおける将来の環境アセスメントは参加プログラムを計画・実施する枠組みができることになる。

 ラオスにおける開発プロジェクトの規模、技術力、それに結果として生じる影響を考えると、参加に関係する興味深い葛藤が浮かび上がる。確かに、ナムトゥン2のPCPPは、ラオスではいまだかつて例を見ない試みであり、全ての政府各層を動員し、参加型農村評価(PRA)などの手法による広範な調査を実施し、現地、地域、国際という参加のプロセスを経てきた。しかしながら、参加というのはラオスにおいて、必ずしも新しい概念として見るべきではないだろう。伝統的な灌漑システムの実施や維持、職人芸的漁業の地域管理 (4) などは、うまく作り上げてきた参加のモデルである。更に、政治的に支配するラオス人民革命党の正当性は、ある部分、村レベルにまで至る党員や、大衆団体の支持によるところがある。ラオ国家建設戦線やラオ女性同盟は、最も重要な大衆団体である。特に、女性同盟は、1990年の会員数が50万人と言われる。(5) こうした大衆団体は、道路や灌漑事業といった様々な公的なプロジェクトで住民の動員を手助けしてきた。政府の組織によって推進される参加の形態を強硬に制限しようと考えるラオスの官僚や政治家は、これらの例をもって「真の」参加だと言うかもしれない。

 いずれにしても、もし、参加によって、ダムを建設するべきか否かの決定に影響があった証拠を探そうとすれば、先に引用したナムトゥン第2ダムのRAPのごとき書類をふるいにかけた後、その貧弱さが残る。その代わり、そうした決定は、政府や官僚機構の上層部や開発事業者、その融資者、それにもちろん世界銀行によってなされるのだという結論に到達する。こうしたグループにとっての参加の重要性は色々あるが、ダムの実現そのものについて決定を下すという点は含まれていないのだ。

 無論、環境影響評価はプロジェクトを進めるかどうかの決定を下すことではないという考え方は広く受入れられている。(6) そうした決定は国家における政治的、行政的なプロセスに委ねられ、環境影響評価は、意思決定を手助けするために客観的な状況を提供することと考えられている。ナムトゥン第2ダム計画の場合、いや、おそらくラオスの大規模開発計画のほとんどは、国内的にはラオ人民革命党が意思決定に対して圧倒的な支配力を持っている。したがって、開発事業者や融資者が、一般的に建設に好意的な環境影響評価報告でナムトゥン2計画を有効と結論づけるのは危険だと見ることができる。というのも、ダムを建設するか否かの意思決定には、全く一般の(特に影響を受ける村人の)参加がないのだから。

 参加は、持続可能な開発のように、今や一種の技術的な虚飾によって、覆い隠され曖昧にされる危険にある。STENOによって作られたガイドラインのような参加のためのマニュアルは、非常に複雑で予測できないプロセスに対して、調理のレシピ帳のごときアプローチが散りばめられているのだ。

 サラ・ホワイトが言うように、参加というのは政治的であり、数多くの形態をとることができるということを理解することがまず肝要である。(7) 彼女は論文の中で、参加のいくつかの形態のうち、参加者の代表性が認められ(representative)、変革を指向する(transformational)形態が、現行の権力構造に対して最も挑戦的であると述べている。というのも、そうした形態は、除外されている人たちに声と力を与えるからである。一方で、参加の名目的な形態(nominal)や制度としての形態(institutional)は、主に、外部に対して参加が生じていることを提示したり、費用の効率化を達成する手段として実施される。他にも、「説得、相談、自己決定」という参加のモードによって、参加に関する理解や評価をする方法もある。(8) しかし、分析の枠組みとは関係なく、注意を払うべき非常に重要なことは、参加が既存の権力構造に挑戦することが可能だとは言え、「参加はまた、それによって既存の権力関係を強化し再生産する手段でもある」(サラ・ホワイト)という点ではないだろうか。
(邦訳:松本 悟)

参考文献
(1) NTEC (1997) Resettlement Action Plan, Draft, Vientiane, Laos
(2) Porter, Doug (1995) Scenes from Childhood: The homesickness of development discourses, In Power of development, Crush, Jonathan(編), Routledge
(3) UNDP (1997) Public Involvement (PI): Guideline for Natural Resource Development Projects
(4) Claridge, Gordon; Sorangkhoun, Thanongsi; Baird, Ian (1997) Community Fisheries in Lao PDR: a survey of techniques and issues, IUCN, Laos
(5) UNICEF (1992) Children and women in the Lao People's Democratic Republic, UNICEF, Vientiane
(6) 例えばGlipin, Alan (1995) Environmental Impact Assessment: Cutting edge for the twenty-first century, Cambridge University PressやThomas, Ian (1996) Environmental Impact Assessment in Australia. Theory and practice, The Federation Press
(7) White, Sarah (1996) Depolitising development: the uses and abuses of participation, Development in practice, Vol.6, No.1
(8) Sewell WRD & Phillips SD (1979) Models for the evaluation of public participation programmes, Natural Resources Journal, 19(2)

執筆者 : Gerard Cheong
シドニー大学地理学部オーストラリアメコンリソースセンター研究員。ラオスの大規模開発を事例に参加について研究中。1996年末から10ヶ月間ラオスに滞在し、ESCAPやメコン河委員会の参加に関する調査・ワークショップに参加。本稿は、その研究の導入として98年11月の同学部年次発表会に提出された。共編に、"Natural Resource Management in the Mekong River Basin: Perspectives for Australian Development Cooperation" (1996, University of Sydney)がある。

 

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