来る5月11日から13日の3日間、福岡市でアジア開発銀行(ADB)の第30回年次総会が開催される。設立30周年という節目に当たる今年の総会は、今後21世紀に向けて「アジア・太平洋地域の経済開発にADBが果たす役割を再確認」(佐藤光夫ADB総裁)する場として、ADB加盟国政府はもちろん、その活動を注視するNGOにとっても非常に重要な意味を持つ会議となる。
ADBは、ブレトンウッズ体制の一翼を担う国際機関として1966年マニラに設立された、現在アジア域外の資金供与国も加えて全56ヶ国が加盟する地域開発銀行である。その開発融資活動は、過去30年間に渡って、世界銀行や日本の政府開発援助(ODA)とともに、アジア地域における経済発展の重要な牽引車の役割を果たしてきた。その間、約1300のプロジェクトに総額約567億ドルもの投融資が、エネルギーや運輸などのインフラ整備を中心に提供されている。(注1)
ダムや高速道路、そして貿易拡大のための集約型農業などへのこうした大規模投資は、近年「アジアの奇蹟」とまで称されるようになった一部アジア諸国に大きな開発の成果をもたらしたといわれ、ADBはこの路線をさらに押し進めようとしている。しかし、経済成長を専ら重視したADB30年間の活動は、果たして本当に「成功」と呼べるものだったのか。
アジア開発銀行(ADB)の30年を評価する
ADBは「貧困の緩和」をその重要な使命の一つとして謳っているが、アジア地域には世界の貧困層の50%以上に当たる人々がいまだ暮らしているという現実がある。援助機関からの巨額な開発資金を後ろ楯に進められてきたアジアの近代化・工業化の裏では、商業伐採による森林の破壊やダム建設に伴う地域住民・先住民族の強制立ち退きなど、深刻な環境・社会問題が現在もなお引き起こされている。(注2)そして多くの場合、こうした負の影響が最も深刻なのは、経済成長の恩恵に浴する機会をほとんど与えられていない貧困層においてである。
また、大規模ダム建設などのインフラ整備事業に対するMDBの貸付は、巨額の債務となってその国の経済に大きくのしかかっている。例えばフィリピンでは国家支出の約40〜60%が債務支払いに当てられており、バングラデシュやネパールなどの南アジア諸国では長期債務総額が国内総生産の50%をはるかに超える。(注3)こうした巨額の債務返済のために1980年代初頭より世銀・IMFなどによって導入された構造調整プログラムによる貸付もまた、資源輸出による外貨獲得、社会保険予算の削減、公共サービスの縮小、民営化の導入など、国内政策の大幅な変更を迫ることから、途上国の様々な社会問題や環境問題にさらに拍車をかける結果となっている。
ややもすれば「成功」の陰に隠されてしまうこうした問題の根本には、多くのNGOが指摘するように、ADBや世界銀行をはじめとする開発融資の在り方、その方向性そのものが深く関与している。つまり、実際の融資内容をみれば明らかなように、経済成長すなわちGNPの拡大によって貧困の解決をもたらすとする「成長中心型」の開発パラダイムがADB内でいまだに根強く信奉されているということである。ADBを含めた多国間開発銀行で職員の多くが経済学者や金融専門家によって占められていることも、そうした事実の一つの反映である。(注4)これは、ADBや世界銀行が「開発機関」というより、むしろその貸付資本の大半(ADBの場合は約70%)を民間市場からの借入金によって賄っている国際「金融機関」としての組織的要請に因るところが大きい。(注5)こうした組織では、業務の優先事項として投資の効果・効率性を最重要視する傾向が強くなる。
このような従来からの傾向に加えて、近年、新しい動きとして挙げられるのは、ADBが開発融資に民間セクターの参加を積極的に促していることである。例えば、メコン川流域開発には約250億から400億ドルの資金が必要であるといわれるが、このような巨額な資金を賄うため、従来は公的資金でしか考えられなかった、社会資本整備への大規模な民間資本の導入が、ADBと日本の政府・産業界の積極的な後押しによって進められている(Press
Sheet No.7「ADBとメコン地域開発」参照)。しかしこうした民間セクターが関わる投融資においては、ADBの環境アセスメントや情報の公開も大幅に制限されるなど、これまでの努力によってADB内にようやく確立されてきた環境・社会配慮の原則が適用されないという点を、NGOは強く懸念している。(注6)
Qestioning the ADB at the 30th -NGOからのメッセージ
国際的なNGOキャンペーンにさらされてきた世界銀行とは対照的に、融資規模が比較的小さいADBは、その設立から20年間は目だった批判を受けることがなかった。しかし、多国間開発銀行の活動・政策に対する監視が徐々に強まる中、1989年、北京で行われた年次総会にフィリピン、インドネシア、米国、日本のグループらが集まったことがきっかけとなり、NGOによる組織だったロビー活動が開始された。
その後、NGOによるロビー活動は次第に個々のプロジェクトの問題から、エネルギーや森林といった分野別政策、さらに情報公開や住民参加などADBの業務政策全般に関わる問題へと拡がっていった。92年の香港での総会に集まった25のNGOにより《NGO
Working Group on the ADB ( ADBに関するNGO連絡評議会)》(本部マニラ)が設立され、94年からは、年次総会に際し佐藤総裁とNGOとの間で会合が持たれるようになっている(Press
Sheet No.3「ADB改革の動きとNGOキャンペーン」参照)。一方、国際的レベルでも92年以降、多国間開発銀行に対する監視は益々高まっており、過去数年の先進国首脳会議(G7サミット)でも「国際開発機関の機構改革」が主要な議題のひとつとして取り上げられてきた。
こうした中でADBは、過去数年、環境・社会面での配慮を強化することを目的とした組織改革を進め、さらに情報公開を始めとする業務活動全般の見直しを行ってきた。ADBを含めた多くの開発援助機関では「環境への配慮」や「持続可能な開発」が、まるで合言葉のように使われ、またあたかもADBの活動がこうした新たなパラダイムへと移行を遂げているかのような印象を与える。
しかし、ADB融資プロジェクトの影響を受けてきた現地住民やNGOは、このようなADBの姿勢に対しては一定の評価を与えつつも、「根本的には何も変わっていない」という根強い批判の声を上げている(Press Sheet
No.4「実りある対話は可能か?- ADBの政策とNGOの立場-」参照)。問題は、ADBが自ら掲げる環境や住民参加などの政策やガイドラインが業務執行の過程で確実に実施されているのか、これまでADB自身が行ってきた組織改革や新しい政策が果たして実際のプロジェクトの「質」に反映されているのか、ということである。近年注目が高まりつつあるメコン川流域開発において、開発計画への住民の参加の欠如や環境アセスメントの不備など様々な問題点が地元地域のNGOから指摘されているように、「環境に配慮し、持続可能な開発を目指す開発機関」というADBの虚像(myth)と現実(reality)には、まだまだ大きな隔たりが存在している。
ADBがこれまで進めてきた「開発」は、果たして本当にアジア諸国に暮らす多くの人々の貧困を解決し、こうした人々自身が望む「持続可能な発展」を実現してきたのか。”Questioning
the ADB at 30th”は、こうした根本的な疑問を投げかけることによって、現在で様々なかたちで発生し進行している問題に目を向け、ADBのさらなる改革を求めていこうという、私たちNGOのメッセージである。
問われる日本の役割とアカウンタビリティー
ADBは日本によって支えられているといっても過言ではない。日本は設立以来最大の出資国であり、貸付資金を賄う国際金融市場からの資金調達においても、ADB債の主要な買い付け手として多大な貢献をしている。(注7)(Press
Sheet No.5「ADBと日本」を参照)。ADBの歴代総裁は全員日本人であり、主要ポストを含め約70人の日本人が働いている。また、日本はADBが行う協調融資における最大のパートナーでもあるでは、今後のADBの方向性を決定する上で、日本はどのような役割を果たすべきなのか。その多大な影響力を考慮すれば、ADBのさらなる改革へ向けて、他のいかなるドナー国よりも積極的な取り組みが期待されて当然である。
しかし、日本政府はこれまで、ADBの改革に関して表立った貢献をしてきたとは言い難い。実際、NGOが指摘するADBの様々な問題点は、日本国内の政策や意思決定システムの問題と重なり合っている。それは例えば、年間貸付総額でADBをはるかに上回る日本の巨額のODAや国内公共事業における環境アセスメントや情報公開の問題をみても明らかである(Press
Sheet No.8「博多湾人工島計画」を参照)。主要な援助国を対象とした比較調査によれば、日本のODAは環境・社会へのアセスメント制度の欠如、情報公開の遅れ、ないに等しい監査システムやチェック機構など、様々な問題を抱えている。(注8)さらに、ADBなど多国間開発銀行に関わる日本政府の意思決定は大蔵省によって独占されており、国会やNGO、市民に対する情報公開さえほとんど行われていないのが現状である(Press
Sheet No.6「ADBと日本政府のアカウンタビリティー」参照)。
こうしたことを考え合わせるなら、ADBにおける問題は、まさに日本自身が戦後50年に渡り国内で押し進めてきた開発の在り方とそれを支えてきた「システム」の問題を写しとっているといってよい。ADB設立30周年という機会に、私たち日本のNGOは、日本政府自らが、環境への配慮と市民社会の役割を促進し、持続可能な開発に対する明確な政策と姿勢を率先して示していくことを求めるとともに、トップドナーとしての日本のアカウンタビリティーについても、改めて問題にしていく。
(注1)1995年度の総額約55億400万ドルの融資内訳は、エネルギー分野は32.5%、運輸・通信17.6%、社会インフラ22.8%、農業16.3%となっている。Press
Sheet No.2 「アジア開発銀行(ADB)の貸付状況」参照。
(注2)世界銀行の例では、1989年当時に融資中のプロジェクトによって約150万人が移住・再定住の対象となっており、計画中のものを含めるとさらに150万人が立ち退きを求められる予定であった。Bruce
Rich, Mortgaging the Earth (Boston:Beacon Press、1994)、p156。また、世銀、ADB、日本の海外経済協力基金(OECF)の3つのドナーから各2億ドルの融資を受けたバングラデシュの《ジャムナ川多目的橋建設プロジェクト》では、約80、000人の地元住民が影響を受けたり、あるいは立ち退きを強いられることになった。このうちの多くの人々が補償(金銭あるいは土地)を満足に受けておらず、立ち退き以前の生活レベルを維持することができずにいると報告されている。Earth
Touch, April 1996, pp17-24。
(注3)世銀によると、低所得国の対外債務残高は1980年の1340億ドルから94年には??億ドルへと増加を続け、これら途上国から先進国に支払われた利子返済額だけでも約183億ドルに上る。World
Bank, World Debt Tables 1995 (Washington, D.C. : World Bank,
1996)。
(注4)ADBの場合、約1940人の職員のうち約45%がエコノミストと技術系専門家である。
(注5)Antonio Quizon and Violeta Q. Perez-Corral The NGO Campaign
on the ADB (Manila : ANGOC, 1995)
(注6)地球の友・ USA, 「プライベートセクターによる開発と世界銀行グループの役割」(1996年)。
(注7)1995年には海外経済協力基金(OECF)と日本輸出入銀行を通じてADBが融資する9つの計画に合計10億ドルの協調融資を行った。ADBなど多国間開発銀行の融資はその計画への信用を高め、他からの資金を集めやすくする効果がある。ADBの融資には1ドルにつき1.5ドルの割合いで商業銀行や外国の融資機関から資金が集まるといわれる。1995年の通常財源からの投融資総額40億ドルでは、この協調融資によりさらに60億ドルの資金動員力があることになる。
(注8)ジョナサン・ホリマン、斎藤友世『ODAにおける環境配慮と持続可能な開発:地球サミット以降の主要援助国7ヵ国における取り組み』(「環境・持続社会」研究センター、1996年)。
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