過去に日本で開催されたADB総会は、設立記念総会を東京(1966年)で、第20回総会を大阪(1987年)で、というように、いずれもこの国際機関にとって大きな節目となる年に行われてきた。こうした事実は、日本がADB内や加盟国の間でいかに重要な役割を担っているかを端的に表わしている。私達日本人の認識度は世界銀行などに比べ決して高くないが、ADBこそ、その設立から財政と人材の両面で日本が突出した「貢献」を行ってきた機関であるという点で、数ある国際諸機関の中で非常に希な例であるといってよいだろう。
加盟国中トップの株式保有と理事会投票比率
1996年6月末日現在、日本はADBの全株式のうち16.5%を保有しており、理事会での投票比率は全体の13.6%と加盟国中第1位である。(注1)
日本の 応募済資本は全体で79億7027万ドル、そのうち払込資本は5億5800万ドルとなっている。ちなみにアメリカも日本と並んで高い株式保有率と投票比率を有し、ADBに大きな影響力を行使している。
歴代総裁は全て日本人
ADBと日本、特に大蔵省との関係は深い。総裁は、6代目にあたる現在の佐藤光夫総裁に至るまで全て大蔵省出身者が占め、また代表理事も常に同省からの出向官僚が就任することになっている。現在ADB内では計74人の日本人が勤務しており(全体の11.15%)、その中でも大蔵省や同省の息のかかった政府系開発金融機関の出向者の多くが重要なポストに就いている。(注2)
特別基金への莫大な拠出
ADBの3つの特別基金 - アジア開発基金(ADF)、技術援助特別基金(TASF)、日本特別基金(JSF) - に対する日本の拠出額は加盟国中第1位である。日本は現在までに、通常より緩和された条件(利子の代わりに年1%の手数料、返済期間35-40年、据え置き10年)で貸付を行うADFに対し、計99億1407万ドルの拠出を行ってきている。さらに、本年1月に第6次財源補充交渉(ADF7:1997-2000年)が終了した際、日本がドナー国の負担総額30億ドルのうち10億1900万ドルを拠出することを決定した(全体で63億ドル、残り33億ドルはADB自身が負担する)。95年12月末日現在、加盟国によるADFへの全拠出金(199億1724万ドル)のうち約53%を日本が負担している。その他2つの特別基金、技術援助業務に資金提供を行うTASF、および1988年に日本政府によって設立されたJSF(注3)に対しては、それぞれ累積4771万ドル(全体の約56%)、6億860万ドル(100%)を拠出している。
最大協調融資先としての日本
ADBにとって日本は最大の協調融資パートナーであり、過去5年間(91〜95年)、日本の3つの機関(OECF、輸銀、JICA(注4)
)による協調融資は全体(122億2100万ドル)の29.6%(36億2291万ドル)を占めている。そのうち95年度だけで24億8千万ドルを計上し、日本が全体で占める割合は全体の47.6%へと激増した。
国際資本市場での資金調達と日本
いうまでもなく、私たちの税金の一部はADBへの出資・拠出に当てられる。所得税、消費税など様々なかたちで支払われる税金は一般会計歳出予算へ計上され、大蔵省の「経済協力費」(アジア開発銀行等への拠出金)として予算管理されている。
日本の資金面での貢献はこれに止まらない。ADBを含め多国間開発銀行(MDB)はその費用の大部分を国際資本市場で調達している。日本のお金はそこでも債権の購入などを通じてMDBの資金基盤を支える大きな役割を果たしているのだ。そうした「貢献」は公的そして私的セクターの両方を通じて行われている。まず私たちの郵便貯金、厚生年金、国民年金などが特別会計として大蔵省の資金運用部資金に計上され、そこからの借入金が財政投融資としてADB債購入に費やされる。もう1つは、私達の市中銀行での預金や生命・損害保険会社への積立金がADB債の購入に充てられるケースである。さらに、民間企業や個人投資家が国際資本市場で直接ADB債を購入する場合もある。
ただ、ADB債を、どこの誰が、どのくらい購入してているのか、といった情報は公けにされていないため、資金環流の全貌は明らかにされていない。いずれにせよ、ADBが資金の借入をする上で私たちの多額な資金が充当されているのは紛れもない事実である。
日本企業の受注状況
ADBは、貸付プロジェクトへの物資調達や専門家派遣に際し、国際競争入札を通じて委託業者を選定している。日本企業の受注累積額は、物資/関連サービス/土木事業が48億8374万ドル(全体の14.5%)、コンサルティング・サービスは1億5349万ドル(同8.0%)となっている。10年単位で見てみると、物資/関連サービス/土木事業に関しては、1967-76年が41.7%(加盟国中1位)、1977-86年が23.7%(同左)、そして1987-1995年が9.9%(2位、1位はインドネシア)、コンサルティング・サービスでは、それぞれ11.4%(3位、1位はアメリカの31.1%)、13.4%(3位、1位はアメリカの19.6%)、6.2%(5位、1位はインドネシアの12.7%)となっている。1995年度に限ると、日本の受注額は物資/関連サービス/土木事業に対し2億48万ドルで、全体の6.2%(6位、1位は中国の15.9%)、コンサルティング・サービスに関しては、受注額が701万ドルで全体の2.6%である(12位、1位はインドネシアの19.6%)。(注5)
これらの数字から判断する限り、現在の日本企業の受注率は近年あきらかに低下傾向にあり、対照的に発展途上国企業の受注率は増加傾向をたどっている。しかし、これは日本企業の「援助離れ」やADBにおける日本の影響力低下を直ちに意味するものではない。大規模プロジェクトではいまだに日本企業の受注率が高いといわれているし、所謂「民活インフラ」(民間企業による経済インフラ整備・操業)というかたちでも日本企業に莫大な資金が投入されている。また、他国の受注企業の中にも日本の資本が入っている場合も少なくない。いずれにせよ、日本を含めドナー国の資本がADBのプロジェクトでどのような役割を果たし、またどのような恩恵を受けているのか、今後十分に調査される必要がある。
今後の課題
過去30年、日本は、世界的・地域的に大きな役割を担ってきたADBの業務活動に様々な側面から深く関与してきた。この機関は、他の国際機関と比べ日本政府の意思が反映しやすいという点で、この国のODAや公共事業の問題点を映す鏡であるといってもよいだろう。
ADBが、NIESを代表とするようなアジア諸国の経済成長に寄与してきたことは事実であるかもしれないが、それらの国々で様々な社会問題や環境問題が引き起こされてきたことにもっと目が向けられなければならない。問われるべきは、単に経済成長の達成を目的とするのではなく、人々の生活の根本である「社会」や「環境」が永続可能なかたちで保たれるよう十分配慮がなされてきたのか、そして、その実現のために日本はこれまでADBとどのように関わってきたのか、ということである。また今まで「経済的成長」の面で取り残された諸国や諸地域の開発についても、そうした過去の経験を活かした上で、日本が今後ADBの活動を通じ、どう現地の社会・環境諸問題の解決や緩和に関わっていくのか、考えられる必要がある。
今回、私たちNGOは、ADBへ様々な角度から疑問を投げかける(Questioning the ADB at 30,
Myth vs Reality)ことによって、多国間開発援助のさらなる改革を求めていくつもりである。加盟国中、最も大きな影響力を保持している日本政府は、ただお金を出すだけではなく、こうした「もう一方からの声」へ充分耳を傾けた上で、ADB改革を率先して促してゆくべきであると訴える。そのためにはまず何よりも、日本政府自身が開発援助に関する明確な理念と政策を持つとともに、それを実行に移すために必要な専門知識を蓄積し、透明性と説明責任のある政策決定システムを創り上げていかなければならない。
(注1)以下も、特に断わりがない場合は96年6月末の数字。
(注2)プログラム東局長、プログラム西局長、人事・予算局長、財務局長、戦略企画室長など。プログラム局はプロジェクトの選定・企画、財務局は資金調達活動、戦略企画室は業務戦略策定を担当。大蔵省とADBの関わりについては
「ADBと日本政府のアカウンタビリティー」参照。
(注3)JSFは、環境保護、女性の地位向上、民間部門の促進、研修・セミナーの開催などにも重点を置いていると言われているが、その情報は非常に限られており、日本政府の関わりやその意思決定システムなどはほとんど公開されていない。なお日本政府は1995年度、JSFに対し1億500万ドルの拠出を行っている。
(注4)JICAの場合は、ADBプロジェクトへの「贈与」。
(注5)1990年1月から1996年6月の間で、ADBの貸付プロジェクトに関わった日本の契約・供給業者のうち突出しているのは、三菱商事(6億7938万ドル)、三井物産(7488万ドル)と住友商事(5853万ドル)である。コンサルタント会社に関しては、日本工営(2058万ドル)、パシフィック・コンサルタント・インターナショナル株式会社(199万ドル)、新日本エンジニアリング・コンサルタント(196万ドル)などが挙げられる。
◆参考 資料:
ADB,Asian Development Bank Annual Report 1995 (Manila:
Asian Development Bank, May 1996)
ADB,Japan and ADB, A Fact Sheet (Manila: Asian Development
Bank, 30 June 1996)
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