<バックグラウンド> プロジェクトの概要:
アジア開発銀行(ADB)によって融資されている「チャシュマ右岸灌漑プロジェクト(I,
II, III)」(パキスタン)は、チャシュマダムからインダス川沿いに274キロメートルの運河を掘る大規模灌漑プロジェクトである。当プロジェクトには72の排水路、68の交差排水路、及び91の橋の建設も含まれる。当プロジェクトは1977年に開始され、1993年に始まった第3期工事では、144kmの運河の建設と13.5万ヘクタールの農地を灌漑する。現在は2003年12月の完成を目指して建設が進んでいる。 主な事業実施者:
パキスタン水電力開発公社(WAPDA) 財源:
ADBは全プロジェクトコスト(4億5400万ドル)の66%である、2億9900万ドルを融資している。残りはパキスタン政府とドイツ復興金融公庫によって融資されている。 <問題点> 環境への影響:
森林破壊、生物多様性の喪失、洪水、水流変化、土地劣化と浸食、化学肥料と殺虫剤の使用の増加など。 プロジェクトに誘発された洪水:
西から東へ流れる150以上からなる自然の水流を72の排水路にまとめたために、水流の破壊力が増した。北から南へ流れる運河および道路が排水路を横切り、排水路の流れを妨げる為、運河および道路の西側に深刻な洪水が起きるようになった。また、排水路及び配水路はインダス川まで届かず、その数キロ西で水を放出するため、川辺地域においても洪水が発生している。洪水により農作物や家屋が深刻な被害を受けており、死者も発生している。 補償なき非自発的移転と強制立ち退き:
1万9千エーカー以上の土地がプロジェクト建設のためとして、パキスタンの土地取得法に違反し通知もなく取り上げられたうえ、取得や資産の評価プロセスには透明性及び住民の参加が欠如していた。補償額は市場価格を大幅に下回り、また未だに殆どの住民は土地および生活手段の損失に対する補償を受けていないのみでなく、土地取得に関する記録の真偽も懸念されている。洪水による被害に対しては、移転に対するわずかな金銭補償または効果に疑問のある堤防の建設という形式のみで対処されており、灌漑地への移住計画は全く存在しない。また、被害を受ける多数の村は社会調査の対象に含まれておらず、補償の対象となっていない。現地のNGOによると、5万人以上が当プロジェクト建設の為の土地取得および洪水により被害を受けている。 住民の生活への影響:
当プロジェクトの建設により自然の水流を利用する伝統的な灌漑システムは破壊され、灌漑地以外では生活手段が失われた。また、この灌漑システムに基づいて成り立っていたコミュニティの相互サポートネットワークが喪失し、水路によるコミュニティーの物理的分断、また灌漑地への大量の移民の発生などから生活形態や地域文化への深刻な影響、また政治的な緊張が起こることが懸念される。 プロジェクト設計・実施における環境社会配慮、透明性、住民参加の欠如:
プロジェクトの設計や実施プロセスは、社会環境配慮よりもコスト、水路の保護、各州へのインダス川の水配分等に偏っている。また、深刻な環境社会影響が起きること融資承認当初から予測可能であり、またプロジェクトが進行するにつれて問題がさらに明らかになっていったにもかかわらず、環境、社会影響評価は不十分であり、現在に至っても正確な被害住民のスコープといった基礎的な情報すらない。また、プロジェクトの計画と実施において、透明性や住民参加が決定的に欠如しており、結果として、プロジェクトの設計において地域の既存水流形態は無視され、環境社会影響の緩和策は設けられず、適切な補償は予算に含まれなかった。ADBは、融資調印後も設計の変更、追加融資時等において、設計における不備また環境社会配慮の欠如について指摘、改善する機会があったにもかかわらず、十分な対策はとられなかった。 <住民の反対と要望> このような状況の中、住民はパキスタン水電力開発公社(WAPDA)とADBに懸念を伝えてきた。その結果、社会分析が行われ、2002年3月には関係者間の対話がもたれたが、ADBとWAPDAは住民の懸念に十分に答えなかった。また透明性、住民参加の点に問題があったことから、住民の不信感は募った。対話に際しては、被害住民は期限付きの問題解決アプローチを希望したが、受け入れられず、非自発的移転への補償に関しては、重要な意思決定が関係者間の対話以前に住民へのコンサルテーションもなく行われていた。さらにADBは報告書の開示も断った。 2002年の11月には、被害住民とNGOはプロジェクトに政策違反があったとして、ADBのインスペクション委員会(BIC)に提訴した。住民の要望として、独立した調査に基づき、移住計画を含む適切な補償また当プロジェクトの修正が行われること等が挙げられている。ADB事務局はインスペクションの却下を主張し、実施主体とADBが共同で設置した苦情救済裁定委員会(GRSC)を通した問題解決法を提案した。それに対する反論として、申し立て者たちはGRSCの不当性、またアカウンタビリティー機能としてのインスペクションとGRSCとの相違を主張し、インスペクションの迅速な開始を求めていた。しかし、4月上旬に行われたADB理事会において、初期調査によりADBの政策違反が確認されたにもかかわらず、GRSCの実施の状況によりインスペクション開始を8月または12月まで延期することが決定された。 4月24日において、GRSCの運営はADBとのToR(委任事項)を無視して行われている。GRSCの活動開始は2ヶ月近くも遅れており、また住民に対する情報提供も行われていない。被害住民の代表(2人)は地域政治家によって選ばれ、ADBと現地政府間で合意された選定プロセスは行われなかった。また、申し立て者に当初から指摘されていた設置プロセスの不当さが現実となり、選定された委員(未選出の2人を除く)に被害住民は一人も含まれていないばかりか、女性も選ばれておらず、著しくジェンダーバランスを欠いている。さらに、委員11名中6名は実施主体であり事実上の拒否権が与えられている。GRSCに対する申し立て者および地域住民の不信感が強いことからも、実際に住民の懸念に対し適切に対処できるかは疑問である。また、ADBのモニタリング体制の不備、GRSC勧告の法的拘束力の欠如、及び広範な汚職疑惑から、GRSC勧告の有効な実施についても懸念される。 ADB事務局及びBICは、問題解決へ向けて申し立て者や地域住民のGRSCへの参加が望ましいとしたが、提訴文書のなかで申し立て者がGRSCへの参加の条件として提示した要求(世界ダムコミッションのガイドラインにそったGRCSの再設計、住民自らの選出による住民代表が委員会の50%を占めること)については言及していない。 <ADBの政策違反> *()関連イッシュー 以下の政策及び手続きへの違反がBICの初期審査において指摘されている:「ADB業務における環境配慮」(カテゴリー分け、環境査定、緩和処置の実施、社会調査)、「ADB融資プロジェクトへの追加融資」(追加融資・プロジェクト設計変更時の再承認)、「社会文化影響」(社会文化配慮)、「先住民族政策」、「モニタリングと評価」(社会分析)、「非自発的移転」(住民参加、補償、移転計画)、「社会配慮」(社会的弱者への配慮、住民参加)、「先住民」など。 <本件に関する問い合わせ先> 「環境・持続社会」研究センター(JACSES) 持続可能な開発と援助プログラム 担当:杉田 〒106-0047 東京都港区南麻布5-2-32 第32興和ビル2階 Tel:
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